8月25日、WWEはブレイ・ワイアットことウィンダム・ロタンダが急死したことを発表した。享年わずか36歳。
(⇒ CNN 2023年8月25日記事:米プロレスラーのブレイ・ワイアットさん死去、36歳 WWE発表) 前日のテリー・ファンクの死去発表も悲しみではあるが、テリーは79歳だった。
しかし今度は(欠場中とはいえ)バリバリの現役レスラー、しかもWWEでトップ級の有力有名レスラー、かつ36歳である。
これはかなりショッキングな悲報と言わねばならない。
もともと心臓に病気を抱えていたようだが、昨年には新型コロナに感染し、それが症状を悪化させたのかもしれない。
あまりに残念である。
アメリカのプロレスファン、特にちびっこプロレスファンには、大げさかもしれないがずっと忘れられない知らせになるのではなかろうか。
ブレイ・ワイアットは、プロレス界に古来から続く「怪奇派」レスラー――包帯グルグル巻きのザ・マミーとか――の最新版であり、最新の頂点だった。
不気味な悪魔の仮面、ランタンを掲げ持っての入場、リングの下からマットを破いて現れて対戦相手を攻撃する……
さながらキン肉マンのリアル実写版とでも言おうか、とにかくそんなのが異様に似合うレスラーだった。
また、子ども向け番組を模したファイアフライ・ファンハウス(楽しいホタルの家)は、きっとWWEの大人気コーナーの一つだったろうし、それこそアメリカのちびっこプロレスファンの脳裏に深く刻み込まれていたに違いない。
怪奇派レスラーというのは演劇派レスラーとも言い換えられるだろうが、それが彼の場合は面白レスラーの意味でなく、名誉ある称号でもあった。
その集大成とも言えるのが、2020年のレッスルマニア36(無観客興業)でのジョン・シナとの一騎打ちで――
まさに演劇としか言いようがないその“試合”は、さしものWEEでもこれをプロレスの試合と呼んでいいのかどうか、大いに物議を醸した一戦だった。(いちおう、ワイアットの勝利となっている。)
しかしワイアットにはその怪奇派の枠を超えて――キャラ変とも言う――、まだまだ躍進の余地があったはずである。
まだまだ、春秋に富んだ未来があったはずである。
それが、たった36歳でこの世を去った。
これは、あんまりな現実ではないか。
だがたぶんアメリカには、いや世界中には、ワイアットの悪魔の勇姿(狂姿)を記憶にとどめる何十万人ものちびっこプロレスファンがいるはずである。
だから近未来には、やはりワイアットの衣鉢を継ぐ素晴らしい怪奇派レスラーが現れることを期待したい。
8月23日、WWEはテリー・ファンクが死去したことを発表した。
享年79歳、死因・死亡日には触れられていない。
(⇒ 東スポweb 2023年8月24日記事:テリー・ファンクさん死去 79歳 盟友リック・フレアー追悼「あなたの代わりは誰もいない」) テリー・ファンクと兄ドリー・ファンク・ジュニアは、日本のプロレス史上最高峰の外国人兄弟レスラーであった。
これに知名度で匹敵するのは力道山と戦ったシャープ兄弟くらいだが、しかし現代プロレスに繋がる人気と影響度はその比ではない。
そんなテリーは文字どおりレジェンドの名に値するが、特に有名かつ重要なのは次の2つだろう。
(1) 1977年12月15日、全日本プロレス「ザ・ファンクス vs アブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シーク」タッグ戦
(2) 1983年に涙の引退ツアー、しかし1年後に復帰 (1)は、プロレスファンなら誰でも知っている超有名試合。
あの「ブッチャーのフォークでテリーが腕を突き刺され大流血、しかし兄弟の怒りの猛反撃で逆転大勝利」の試合である。
本当に、
この試合でプロレスにのめり込むようになったとか、プロレスラーになりたいと決意したとか、そんな話をどれだけ聞いてきたかわからない人も多いのではないだろうか。
もしかするとこの試合は、日本のプロレス史全体を通じてのベストバウト、史上最重要試合、少なくともその10選には入る。
まさに「レジェンド試合」の一つであって、何と46年経った今でもプロレスファンなら「誰でも知っている」「知ってなきゃおかしい」――たとえ「テリーがブッチャーにフォークで刺された」という内容だけだとしても――くらいに知られている。
こんな試合は、他にほとんどないものだ。
そして、この(1)がテリーの栄光だとすれば、汚点とされるのが(2)。
あれだけ涙・涙、フォーエバー・フォーエバーで見送ったはずのテリーが、わずか1年後にアッサリ現役復帰した――
これについてもまた、「幻滅した」「怒りを感じた」と回顧する人の話をどれだけ聞いてきたかわからない(笑) これは日本プロレス界のいわゆる「引退詐欺」の元祖であり、これがなければ大仁田厚もその他のレスラーにしても、
「引退しても復帰するのが半ば当然、ファンからも復帰待望論が出るのが別に普通」
という、現代日本プロレス界の風土を作った要因なのかもしれない。
(1)も(2)もひっくるめて、テリー・ファンクというレスラーが日本のプロレス界に与えた影響は甚大である。
そんなテリーは、奇しくもアントニオ猪木と同じ79歳で亡くなった。
プロレスラーとしては長命な方と言えるが、しかし晩年は認知症を患っていたという。
キャリア後期は名うてのハードコアファイターとして鳴らした男にとっては、本人にもファンにも辛い晩年だったろう。
しかしテリーの名は、日本プロレス界でフォーエバーである。
テキサス・ブロンコは、日本の地でレジェンドとなった。
思えば数奇な運命であり、本人にとってもファンにとっても、幸福な運命であったのではないだろうか――
1年半前、駅構内で酔漢から女児を救出し「パンケーキ食うか?」と労わったことで(警察から感謝状を贈られると共に)名を挙げたグレート-o-カーン(オーカーン)……
それが今度は、
よりによって自分の家に(本人在宅中に)侵入した男を制圧し、警察に引き渡したという。
(⇒ SmartFLASH 2023年8月21日記事:新日本プロレス「グレート-O-カーン」住居に不法侵入されるも冷静に対処 正義感あふれるヒールの無事に安堵の声) 酔漢に絡まれた女児を助けるというのは、自分から気づいて動きさえすれば、多くの人が遭遇するだろうシチュエーションではある。
しかし、この治安が悪くなってきたと言われる昨今においてさえ、自宅に侵入した人間と出くわす人はごく少ない。
それがプロレスラーの自宅となればさらに稀で、しかもそのプロレスラーというのが既に女児救出の履歴のあるオーカーンだというのは、ほとんど天文学的確率ではなかろうか。 もちろんこれで、オーカーンのリング外での――プライベートでの――功業は、もはや揺るぎないものになった。
「正義の怪奇派ヒールレスラー」というのは実に矛盾したイメージではあるが、しかし現代プロレスではこれも観客に大いに支持されるに違いない。
ところで、別に皮肉を言うわけではないが思わずにいられないのは――
これほどのオーカーンが、肝心のリング上では八面六臂の大活躍をしているとか大活躍の場を与えられているとは、言い難いという点である。
オーカーンが新日本どころか、日本の全プロレス団体を見渡してみても「最強」のプロレスラーではないかと思っているファンは、決して少なくないだろう。
しかしプライベートでの度重なる功業、東スポ紙上での(岡本書記官による)人気者ぶりにも関わらず、リング上ではむしろ地味なポジションに甘んじている……
という印象があるのは、私だけだろうか。
伏すこと久しきは飛ぶこと必ず高し、という言葉こそオーカーンにふさわしいものと思いたいのだが……
8月14日、元ミゼットレスラー(小人レスラー)の角掛留造さんが、8月9日に死去していたことを、ZERO1が発表した。享年69歳。
病気を患っていたわけでも事故に遭ったわけでもなく、原因不明の突然死だったらしい。
なお、ミゼットプロレス、旧名は小人プロレスのことについては、何年も前に記事を書いているので参照されたい。
(⇒ 東スポweb 2023年8月14日記事:角掛留造さんが死去 享年69 突然死の診断…全女で活躍したミゼットレスラー)(⇒ 2015年4月3日記事:プロレスと「差別」その4 ミゼットプロレスについて少し) ところで今回の発表でビックリしたのは、次のフレーズである。
「今井リングアナ(故人)の前口上『うまれてスミマセン!』のフレーズを、地元の試合時だけ『東北の英雄』とコールしてもらうなど、ユニークにとんだプロレス人生であった」―― いやはや、小人症すなわち誰が見ても一目でわかる障碍者のプロレスラーをコールするに当たり「生まれてスミマセン!」とは、あなたもビックリではなかろうか。
むろん今では、絶対にこんなコールは許されない。
こんなことしたら、いくら「本人がそれでいいと言ってるから」なんて言ったって、世間からボロクソ叩かれるに違いない。
しかしかつては、こんなコールで客席は笑っていたのである。
たぶん、温かい雰囲気にもなっていたのである。
これを「古き良き時代」と呼ぶか「トンデモない時代」と呼ぶか、
「おおらかな時代」と思うか、対する現代を「ギスギスした時代」と思うか「何だかんだ言って世の中はマシになっている」と思うか――
これは難しいというか、感性・好みの問題であるに違いない。 そして本当に意外なのは、その現代にあえてこんなリングコール逸話を追悼の辞に持ってくるZERO1の意図である。
普通なら、もっと他に「いい話」のエピソードがいくらもあると思えるのだが……
あるいは、あえてこんな時だからこそ「凡百のハートウォームな話」は持ってこない、という意思表示でもあるのだろうか。
なんにせよ、オールドファンには忘れがたい「ミゼットの英雄」角掛留造さんの死を惜しむものである。
8月13日、新日本プロレスのG1クライマックス33決勝戦が行われた。
対戦カードは内藤哲也vsオカダ・カズチカで、オカダのG1三連覇はならず、内藤が6年ぶりの優勝を果たした。
さて、試合内容よりまず何よりもプロレスファンが感じるのは、「これはまるで10年前の決勝カードではないか?」ということだろう。
実際、このカードと結果が2013年のものだと言われても、誰も違和感を覚えないだろう。
これは、全てのプロレスラーとは言わずとも、一部の有名・人気プロレスラーの「寿命」または「活動期間」がいかに長いものになり得るかを如実に示している。
しかし(どうしても悪口になってしまうが)逆に、いったい新日本はこの10年間で何をしてきたのか、新陳代謝があまりに進んでいないではないか、と思わないことは非常に難しい。
確かに昔の新日本は、ほとんど20年近くアントニオ猪木がずっとトップを張ってきた。
それに比べればまだしもだし、もしかしたら「トップ選手(陣)の長寿命」というのは新日本の語られざる伝統なのだと言えるのかもしれない。
ただちょっと、さすがに「10年前の決勝カードと受け取られてもおかしくない」のは、やり過ぎではなかろうか。
これは見る人が見れば、団体なり企業なりとしての老熟化である。
平たく言えば今の新日本は、「上が詰まって若い者がなかなか上に上がれない」というような、公務員組織みたいになっていまいか。
とはいえ、その「上」であるオカダ・カズチカを20代半ばで華々しく花開かせたのもまた、新日本であった。
そろそろ第二のオカダ出現、第二のレインメーカー・ショックを、新日本は目論んでいるのかもしれない。
というか、そろそろその時なのではないだろうか……