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レスラー短感03-4 中邑と矢野通と織田信長、必然説と偶然説

 中邑と同じ時期、あの矢野通も一度だけ総合格闘技戦に出撃した。

 2003年8月31日、パンクラス旗揚げ10周年大会で渋谷修身(しぶや おさみ)と対戦し敗北。

 しかし、もし矢野通がこれに勝っていれば。

 一戦とは言わず何度か出場し、勝ち越していれば。

 そして逆に、中邑が負け越していれば――

20150715総合格闘技戦に臨む矢野通(パンクラスHPより)
総合格闘技戦に臨む矢野通(パンクラスHPより)


20150715今の矢野通
今の矢野通


 我々は今、「崇高なる大泥棒」、コミカルヒールとしての矢野通とは似ても似つかない矢野通を見ていたかもしれない。
 
 それこそ矢野が「キング・オブ・ストロングスタイル」と呼ばれ、中邑は「アーティスト・オブ・リング」などと呼ばれる現実を、違和感なく受け入れていたかもしれない。

 それは、充分にあり得た歴史だったと私は思う。


*******************************


 「歴史にIF(もし)はない」、という。

 MMA戦に中邑が勝利し、矢野が敗北したことに、「もし」はなかったのだろうか。

 それが実力だったのであり、勝つべき者が勝ち、負けるべき者が負けたのだろうか。

 これを「必然説」と言い「決定説」とも言う。

 しかし我々は、それは違うと思っている。「偶然説(不確定説)」が正しいと「知っている」。


 あの日あの時もし違う道を通っていれば、数秒でも時間がずれていれば、あの人は交通事故で死ななかったかもしれない。

 あの子どもは溜め池に落ちて死ななかったかもしれない。

 我々はそれが充分にあり得たし、そういう考えが事実だと知っているからこそ、激しく後悔するのである。


 あのとき別の道を行っていれば。

 あのことに気づいていれば。

 あの日あの時あの人に、あんなことを言わなければ――


 人生が変わっていたに違いないことに、たやすく変わっていたろうことに、

 振り返ればいくらでも思い当たる。

 後悔もすれば、良かったと思いもする。



*******************************


 1576(天正4)年、織田信長は本願寺・一揆勢との戦いにおいて先頭に立ち、足(脚?)に被弾し負傷した。(天王寺合戦)

 このとき信長軍は3千、敵軍は1万5千の兵力だったという。

 もしここで信長の被弾箇所が足でなく頭だったら。もしここで信長が死んでいたら。


 たぶん彼は、「上洛こそ成し遂げたが、調子に乗ってあっさり死んだ猪武者」というような評価をされていただろう。

 それは木曽義仲と非常によく似たシチュエーションであり、従って木曽義仲と同程度の評価しかされなかったろう。

 この現代、信長は日本史上最も人気のある歴史キャラと言ってよいだろうが、天王寺で「たまたま」死んでいれば決してそうはならなかっただろう。
 
 そしてこの「もし」は、やっぱり充分あり得たのだし、単なる偶然によるものだと私は思う。

 こういう「もし」は信長に限らず、全ての人間の一生のうちで何度も何度も絶え間なく生じている。

 しかもそれが連鎖・連関する。



 観察可能な全宇宙に存在する原子の数は、10の80乗個くらいと言われる。

 私はその数の大きさを本当には理解していないのだろうが、「あり得た歴史」の数はそれに匹敵するか、超えるのではないかと思う。

 もしその先祖がたまたま早死にしていれば、我々が知っている世界史上の有名人は生まれていなかった。

 彼が名も知れぬ誰かとたまたま巡り会わなければ、何かを思いついたり為したりすることもなかったかもしれない。

 こういった「かもしれない」」は、一人の人間の一生の中でさえ数え切れないほど考えることができる。


 そして矢野と中邑が、たまたまあの瞬間いいパンチを食らい、または食らわせていたら。

 ちょっとだけ体勢がずれていたら――

 いま中邑は、矢野は、どんなレスラーになりどんなポジションにいたろうか。

 それとも何があろうと、やっぱり中邑は「キング・オブ・ストロングスタイル」と呼ばれる定めだったのか。

 矢野通はどんな道を通ったとしても結局「崇高なる大泥棒」になっていたのか。

 そしてもしあの時代、棚橋弘至が総合格闘技に出撃して(させられて)でもいたら……


 私にとって中邑真輔は、特にそういうことを連想させるレスラーである。

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[C21] 中邑真輔論

矢野通まで取り上げての中邑真輔論、感服しました。

恥ずかしながら、矢野通が総合格闘技に出陣したことがあったのは、初めて知りました。

あの時期、猪木さんは本当に酷なことを、新日本プロレスの選手に強いていたのだと、改めて実感しました。

猪木さんの「プロ格路線」は、最悪の形で、プロレスのカミングアウトをするという、全くの失策だったと思いますが、もし、中邑真輔という生還者がいなければ、プロレスというジャンルそのものが消えていたかもしれないと思うと、ぞっとします。

然るに、ブロックレスナーという選手は、WWE とUFC で、頂点に立った、希有な「リアルプロレスラー」と言えるのでしょうか?

中邑真輔については、ロス道場での修行の日々が、ストロングスタイル継承者としての資格に寄与しているという気もしますが、それもこれも、総合格闘技での戦績ゆえ、という気もします。

まさしく人の運命は、どうなるか分からないということを実感させられる記事でした。

考察、お疲れ様でした。
  • 2015-07-15 07:35
  • ムームー
  • URL
  • 編集

[C22]

「矢野通がMMA戦に出ていた」――初めて知った時は超意外でした。

 本人にとっては黒歴史なのか、そうでないのか……

 当時の猪木氏は、「元プロレスラー」でも「新日オーナー」でもなく、「興行師」としての側面が色濃かった時期だと思います。

 だからこそ知名度のあるプロレスラーを是が非でも出場させる必要があったのでしょう。

 しかもその「手駒」が自分の元にあり、自分の命令で動かせるとしたら……ですよね。

 また、心から

「総合と関わる以外、プロレスの生き残る道はない」

「総合に出ないプロレスラーはプロレスラーじゃない」

と思っていたのかもしれません。


 総合と関わったのがプロレスにとって悪夢だったのか、それとも必要・必然な通過儀礼のようなものだったのか。

 これは私にも誰にもわからない「歴史の謎」だと思います。

(しかし雰囲気的に、全く関わらないのは無理だったでしょう。高田延彦がヒクソンと戦わない道がなかったように。

 高田もプロレスも「最強」を呼号していたのですから。)


 今はもう、「オカダ・カズチカは総合に出ろ」などという声も全く聞こえません。

 オカダが出るにふさわしい総合の舞台もなくなってしまいました。

(UFCに出るとか言ったら、驚天動地の出来事ですが)


 このこと自体、現代が「プロレス>格闘技」の力関係にあることを示していますが、

 かつて「プロレス<格闘技」だった近過去の影響は今でも消えていないと思います。

 平均的な世間の人は、(もし総合のことを知っていれば) 総合格闘家は「本物」の格闘家だがプロレスラーはそうではない/怪しい、と思っているのではないでしょうか?

 ちなみにブロック・レスナーは、本当に希有なレスラーだと思います。(この人について詳しくないのは残念です)

 「ブロック・レスナーvsエメリヤーエンコ・ヒョードル」なんてまさしく夢の対決ですが、もしPRIDEが続いていたらどうなっていたか……

 これもまた、「あり得たが、選択されなかった歴史」なのかもしれません。
  • 2015-07-16 00:22
  • 平 成敏
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プロフィール

平 成敏

Author:平 成敏
1970年代生まれの男性。
認定ファシリティマネジャー、主に施設管理の仕事に従事。
プロレス、社会、歴史など、興味関心のある分野についてあまり脈絡にこだわらず書いていきます。(⇒プロレス以外の話題については、別ブログ【社会・ニュース・歴史編】をご覧ください。)

著作一覧(アマゾンkindle版)

ペペチール第三王朝の興亡:表紙 世界系統樹:表紙 尊敬なき社会(上):表紙 尊敬なき社会(下):表紙

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