(資料編)ケース2の「ママ友2人連続自殺」事件では、学校・市教委は独自調査により、
母親たちが陰口などをLINE上でやりとりしていたことを突き止めたそうである。
しかし、「児童や母親の間にイジメはなかった」と結論づけたそうである。
このケースに限らず、
ほとんどいつも学校・教育委員会はイジメがあったことを認めようとしないし、隠蔽しようともする。
「なかったわけないだろう」と誰もが思うシチュエーションでも、かたくなにそのスタンスを保とうとする。 我々はそういう姿勢にいつも憤っているのであるが、しかし、なぜそういうことになるのだろう。
学校・教委の人たちも、もしそれが自分の属する以外の学校・教委で起こったのであれば憤っていたであろうのに、
自分の所でそれが「なかった」とするのは無理があると自覚しているであろうのに、
どうしてイジメの存在を認めもしないし隠そうとまでするのであるか。
その答えは、またしても簡単である。
不祥事を避けたい、体面を守りたい、要するに自己保身の心があるから――
それらも間違いではないが、さらに根本には一本の軸がある。
『イジメた側の保護者(親)への配慮』というものである。
これは、少しでも社会生活らしきものを送っている人間なら、すぐ思い当たる理由だろう。
そして、
少しでも自分を省みることのできる人間なら、「自分にもたぶん当てはまる」と感じる理由でもあろう。
つまるところ、
加害者側の親を「悪い」とすることが「怖い」のである。 イジメがあったと認めてしまうと、彼らを悪者にすることになる。 そんなことをすれば彼らから自分が
(メディアを介してではなく、直接的に)ボロクソ言われる。
だからそうならないよう「配慮」し、たとえ無理筋とわかっていても「なかった」と主張してしまうのだ。
こんなことは、よほどのマヌケでもなければ簡単に思い当たることである。
そして本ブログで今まで書いてきたことが、複合的に現れている現象でもある。
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(1)学校・教師はサービス業であり、保護者・生徒は「お客様」である。
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2015年7月3日付け記事「あれもプロレス、これも民主主義」?(2)「お客様」を悪いと言うことは犯罪に近いタブーである。世間もそう見なす。
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2015年7月1日付け記事「日本的民主主義、すなわち封建民主制」?(3)人間は対決を恐れる。特に「上」との対決を。むろん「お客様」は上である。
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2015年7月4日付け記事「現代の行政は、室町末期の足利幕府なのか」 2015年6月4日付け記事「なぜイジメ自殺は…その15 「文書を書き直せ」というイジメ」(4)学校・教委は行政であり「下」である。よって悪いのは常に行政である。
そういう思考テンプレートができている。
人は反撃してこない者を舐め、イジメるが、実際に行政は反撃してこない。
だから攻撃対象になる。
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2015年7月4日付け記事「現代の行政は、室町末期の足利幕府なのか」 2015年6月7日付け記事「なぜイジメ自殺は…その16 核抑止論、及びプロレスラー・一般人の持つべき「ナイフ」」(5)イジメられる側の生徒・保護者も「上」ではある。
しかしイジメる側の生徒・保護者の方が単純に数が多く、従って声も大きい。
たいへん失礼ながら、あなたもまたこの「配慮」なり「法則」なりから逃れることはできないと思う。
あなたが学校・教委に所属しており、そこでイジメが生じたなら、やっぱり「イジメはなかった」と言うと思う。(最低でも「そういうことにしたい」と思う/感じると思う。)
それが人間の通例だからこそ、ほとんどどこでも「調査したが、イジメはなかった」との(第三者からは噴飯物の)結論が出てくるのだろう。
そしてメディアもまた、教師・学校・教育委員会(総称すると「行政側」)を叩くことに専心する。
一番悪いのは誰かと言えば、イジメた生徒ら/ママ友どもに決まっているのだが、そうは言わず行政側を攻撃する。
人民は主君であり叩けない――叩くのは悪だと感じているからであり、行政は反撃してこないサンドバッグだからである。
人は「警察は巨悪を見逃して、つまらない小物ばかりを捕まえている」などと批判するが、メディアを含む人民自身も同じようなことをしているのだ。
それはまた、反撃してこない相手を攻撃するという、イジメっ子と全く同じ行動様式でもある。(同じ人間なのだから、当然そうなると言えばそうなのだが)
しかもなお、社会においてそれが善であり正しいことと――当たり前のこととされている。 そりゃあまぁ、イジメがなくならないわけである。
イジメに対して本当に断固として対処するには、この手の「配慮」をしないですむようにすることである。「しがらみ」をなくすことである。 それにはまず、
学校と保護者の間には「子ども教育契約」以上の「繋がり」などない、と認識するのが第一歩だろう。
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