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集団性を減らせ――再論「何でもかんでもやるべき」思想

 矢巾町事件においては、生徒と担任教師がやりとりする「生活相談ノート」がクローズアップされた。

 それにしても、こんなのをクラス全員のを見てコメントを書く――

 私ならそんな仕事は絶対に御免こうむる。



 好きに書けばいいブログでさえ億劫になり三日坊主でやめる人が多いのに、

 他人のツイッターにリツイート・コメントすることさえやらない場合がほとんどなのに、

 こんなことどうしてやっていられよう。

 それは、たいがいの人間の気力を超えるものである。

 やれと言われればやりはするが、適当なやっつけ仕事になったとしても何の不思議があるだろう。

(イジメた側の生徒らの相談ノートはいったいどんな内容なのか、見てみたいものではあるが。) 

 そもそもこんなの、「勉強を教える」専門職であるはずの教師がやらなきゃいかんことなのか?


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※これ以後の記述は、以前書いた“なぜイジメ自殺は…その12 日本の労働生産性が低い理由?「何でもかんでもやるべき」という労働道徳”の再論になってしまうが、了承されたい。

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 しかし人々は、「それも当然、教師の仕事である」と言うのだろう。

 あれも、これも、何もかも――全て大事な学校教師の仕事だと、それができなきゃ教師失格だと言うのだろう。

 それがわかってて教師になったのだから、やるのが当然だ文句を言うなと言うのだろう。

 何でもかんでもやるのが正しい、とする現代日本人の労働道徳が、ここでも顔を出している。


 あなたもたぶん職場において、何でもかんでもやることを期待され要求されているだろう。

 「そんなに何でもかんでもできるかよ」と言いたくなったことも一度や二度ではないはずだ。

 しかしあなたは、やる。(その水準は問うところではない。)

 そして、(だからこそ、と言うべきか?)他人に対してはやっぱり何でもかんでもやることを望み、要求するのである。

 特に「上」の立場になれば、それが当然のこととなる。それが「下」の仕事であり、本人のためですらあると思うようになる。

 イジメ自殺も連鎖するかもしれないが、こういうこともまた、代を継いで連鎖するのだ。


 なぜそうなってしまうのか、理由は簡単と言えるだろう。

 それが「自分」にとって利益であるから。

 そしてしょせん、「自分」がやるんじゃないからである。



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 最近では「学校での部活動」について、その必要性・妥当性に強い疑問が呈されているのを多くの人は知っている。

(高名なのは、学校リスク研究所 http://www.dadala.net/

 部活指導も生活指導もイジメ防止も、調査もの・報告ものの書類作りも何もかも、教師にとっては何でも重要だと言うことは、

 結局は重要なものは何もないと言っているのと同じである。


 しかし学校で何が一番重要かと言えば、それは「勉強を教えること/勉強すること」であるのに疑いの余地はない。

 学校とはまさにそのために存在する。

 これに比べれば部活動など、枝葉末節のことである。

 そんなもの、やりたい人が勝手に集まって勝手にやればいいのである。

 「いや、集団生活ができるようにすることも学校の大事な役目だ」と人は言うが、これも枝葉末節である。

 その場にいる人たちと絆が深まったからといって、どうせ卒業すれば滅多に会わず、連絡もそんなに取り合わないではないか?



 そして集団生活は、絶対にイジメを生む。

 集団生活を残せと言うのは、イジメを残せ/残っても仕方ないと言うのと同義である。


 人は対症療法を批判し「根本からの治療・変革」を行なわなければならないと言うが、学校でのイジメ対策はもちろん対症療法である。

 あるクラス・ある学年でイジメを防止したとしても、永遠に「次のクラス・次の学年」ができてくる。

 永遠に集団生活という根本は残る。

 よって根本治療とは集団生活をなくすこと、すなわち今の学校制度を廃止することしかないはずなのだ。



 それは当然、今すぐにできることではない。

 しかしせめて、いいかげん学校教師には、その本業である「勉強を教えること」に集中させるべきである。

 繰り返すが、部活指導、生活指導、イジメ防止、書類作り等々の全てに全力で取り組めというのは、どだい無茶な要求なのだ。

 それは人間に超人たれ、そうでなければ人間失格だと言わんばかりの話なのである。

(そう言っている人間にも、どうせできはしない。)


 だいたいそんなことのできる人間が、何で学校教師を志望するなどと思えるのだろう。

 そんなことができるなら、もっと実入りのいい/稼げる職業を目指して当たり前ではないか?

 何でわざわざ「大量の人と接するリスクに満ちた」――リスクを背負っても自分が増収増益する見込みもない職業を選ばねばならんのか?


 頻繁にクラス替えをする。

 登校時間を生徒ごとにずらす。

 任意の不登校や転校を簡単に認める。

 むろん、部活への強制加入(必ずどれかの部活に入らねばならない)など論外とする。


 こうやって少しでも学校の集団性を失わせることが、今できるイジメ根絶への根本治療というものだろう。

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プロフィール

平 成敏

Author:平 成敏
1970年代生まれの男性。
認定ファシリティマネジャー、主に施設管理の仕事に従事。
プロレス、社会、歴史など、興味関心のある分野についてあまり脈絡にこだわらず書いていきます。(⇒プロレス以外の話題については、別ブログ【社会・ニュース・歴史編】をご覧ください。)

著作一覧(アマゾンkindle版)

ペペチール第三王朝の興亡:表紙 世界系統樹:表紙 尊敬なき社会(上):表紙 尊敬なき社会(下):表紙

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