芸術家肌で、武藤敬司にかなり近い性向を持つであろう中邑が、なぜキング・オブ・ストロングスタイルなのか?
(武藤をストロングスタイルのレスラーと評する人はいないはずである。) まず現象面、表面的なものから見ていこう。
何と言っても思いつくのは、
2009年の棚橋弘至の発言である。
2009年9月27日。IWGPヘビー級戦に勝利した
中邑は、試合後のマイクアピールで唐突に猪木の名を叫び、初代IWGPベルト(猪木が保管)の奪回を宣言した。
そのとき解説席にいた
棚橋は、「(中邑は)ストロングスタイルの呪いにかかっている」と言ったのだった。
私はこれは、棚橋個人と言うよりプロレス史における発言の白眉だと思う。
この後さらに言葉を続けるとしたら、
「その呪いを解けるのはオレしかいない」というものでもあったろう。
結局中邑の宣言は、何事も起こることなくそれで終わった。
中邑と猪木はもちろんのこと、新日本とIGFが交戦することも全然なかった。
(中邑は、後で会社(新日本)に怒られたらしい。)
そして中邑がIWGPインターコンチネンタル王座を「自分の色に染めた」時期――
(ちなみに初めて「イヤァオ!」と言ったのは、2012年11月11日(大阪府立体育会館)のカール・アンダーソン戦の時である。)
2013年11月23日(後楽園ホール・ワールドタッグリーグ開幕戦)では、
棚橋は「中邑は変わった。もうとっくにストロングスタイルの呪いは解けてる」とも言っている。 しかしそれでも、2009年の棚橋「呪い」発言はインパクトを失っていない。
これによって「中邑=ストロングスタイル」のイメージはファンの間で固まったと思うし、
新日本自体もそういう位置づけをする気になり、だから「キング・オブ・ストロングスタイル」とのキャッチコピーを付けたのではないかと思われる。
またこの発言は
、「脱・ストロングスタイル」を掲げる棚橋と中邑との、ライバル関係・対立構造を一層鮮明にする効果もあった。
もちろん棚橋の真情をそのまま表した言葉であることに間違いはないが、営業的にも非常に有益な言葉だったと言えるだろう。

中邑vs棚橋
=「ストロングスタイルvs脱ストロングスタイル」? ところで中邑が唐突に猪木の名を出したことは(最近は全く口にしていないようだが)、やはり彼の中で猪木の存在が相当に大きいことを窺わせる。
中邑・棚橋らの世代は、新日本において猪木に直接の影響を受けた最後の世代と言ってよい。
またその中でも特に影響を受けたのが、中邑と言って間違いはないと思う。
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