Entries

「絶対安全圏からの攻撃」――質問するのはバカでもできる、の法則

 この手の説明会が吊し上げの場になることは、自然現象である。

 お客様は従業員より「上」であり、従業員がお客様に逆らうことは悪とされる社会。

 会社が従業員にそんな教育をすることが正しく、そうあるべきものとされる社会。

 社会自体がそんな雰囲気にあるのだから――

 従業員自身もその雰囲気の中にあるのだから、そりゃあどこまでもお客様は上に立てるだろう。


******************************

 
 考えてみれば、高尾山古墳のような問題について、

 「行政の説明会」ではなく「行政と住民の討論会」というのが開かれてもいいはずである。

 行政が住民側に、どうしてあなたたちは反対なのかと質問し、その回答の妥当性や代案をさらに問うことがあって何が悪かろう。

 しかし、そういうことはまずなされない。

 なぜならそんなのは「お客様」に対して「無礼」だからである。

 質問するのは「上」の者であり、回答するのは「下」の者がやるべきこと――

 これもまた現代日本の「道徳」である。

 上役やお客様などに質問・反問するなどということは、理屈を超えた反逆的行為と人は感じる。


 質問・反問を交わすというのは、議論及び民主主義に不可欠なプロセスであるはずなのだが、

 それ自体が「議論」と呼ばれ「民主主義」と呼ばれるべきもののはずだが、

 現代日本人の道徳観の中では、それは一方通行であるのが正しいとされている。



 いったいどうしてそうなってしまうのか――その理由は、たぶん明白だと私は思う。

 質問するのは簡単で、誰にでもできるからである。

 しかし説明するのは難しく、ほとんどの人が完全にはやりきれないからである。



 空はどうして青いの?

 愛とラブはどう違うの?



 こんな質問をするのは子どもにだってバカにだってできる。

 しかし、即答するのは容易ではない。(あなたはできますか?)

 それは森羅万象に博学である人間、相当の知性を有する人間にとってさえ、非常な難事だと言わねばならない。


 そして、こういうことがみんなわかっているからこそ、「上」の方々にそんなことをさせてはいけないとの道徳観が生じるのだろう。

 上役やお客様を困らせる/苦境に追い込むのは、悪いことであり無礼である。

 困るのは「下」の人間であるべきだ。

 だから説明会における説明者と質問者の立場は、常に固まっているべきということになる。


(「説明会」なんだから、そっちが説明する側だろう、俺らに質問するんじゃない! と質問者側は言うことができる。)

 両者がその立場を交換してこそ民主主義的議論と言えるのはわかりきった話なのだが、それは道徳的に許されない。



 そしてまた、質問者側は「納得しない」と言いさえすれば常に「勝てる」。

 説明者側が「勝てる」のは質問者側に「納得いただけた」時だけだろうが、

(説明者側自身、いつも「ご理解いただくために説明会を開きます」と言っている。)

 そんなのは質問者側の口先一つに任されている。初めから納得しないと決めていさえすれば、いつも彼らは勝てるのだ。

 よって説明会なるものが、しばしば不毛で無意味な……一応はやっておくべき儀式みたいなものと認識されてしまうのは、全然自然なことなのである。


※*****************

 まあ、これは「説明会」だけでなく「議論」に通じる話でもある。

 議論したって、初めから自分の立場を動かないものと決めていれば、どんな理屈を突きつけられようと「負ける」ことは絶対にない。

 だからそれを(彼らの内心という主観でなく、他人たちの客観で)決着させるため、裁判だの選挙だの住民投票だのが発生・整備されてきた――

 昔だったら、しばしば戦争や実力行使で決着が付けられてきたが。

※*******************


 そしてもう一つ。

 質問者と説明者の立場が固定化している(べきである)ということは、前者が後者に対し構造的にいつも優位に立つことを意味するだけではない。

 それはまた、質問者は決して反撃を受けない――質問され、答えなければならなくなるということがない――ことをも意味している。

 質問者は、相手の攻撃を受けなくて済む「絶対安全圏」にいるのである。

 そんなところにいれば、人は簡単に攻撃的になるであろう。

 簡単に、正義の側にいると感じられることにもなろう。

(最初から正義の/上の立場にいるという意識があるからこそ、反撃を受ける立場になるなどあってはならない、と思うのだとも言えるが)

 
 逆に言えば、もし反撃を受けることがあれば――その恐れがあるのなら、「正しい」立場は簡単に揺らぐ。

 それが嫌な陣営は、議論の場に上がってきたり相手陣営と対決するのを躊躇する。

 明らかに対決すべきだろうとみんなが思う局面でさえスルーする。

 議論に負けるかもしれないという恐れだけでなく、本当に身体的に危害を加えられる恐れがあると考えるなら、なおさらだろう。

 私が最近そういうことを特に強く感じるのは、イスラム国・イスラム圏に対する、フェミニズム(に代表される、女性の権利が大事だと思う人たち)の関係である。

このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーサイト
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://tairanaritoshi.blog.fc2.com/tb.php/88-0f7b7a68

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

平 成敏

Author:平 成敏
1970年代生まれの男性。
認定ファシリティマネジャー、主に施設管理の仕事に従事。
プロレス、社会、歴史など、興味関心のある分野についてあまり脈絡にこだわらず書いていきます。(⇒プロレス以外の話題については、別ブログ【社会・ニュース・歴史編】をご覧ください。)

著作一覧(アマゾンkindle版)

ペペチール第三王朝の興亡:表紙 世界系統樹:表紙 尊敬なき社会(上):表紙 尊敬なき社会(下):表紙

FC2ランキング

FC2オンラインカウンター

現在の閲覧者数:

FC2アクセスカウンター

日本ブログ村・人気ブログランキング アクセスランキング

ツイッターウィジェット

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR