12月14日、新日本プロレス仙台大会において、鈴木みのるが鈴木軍の年内解散をリング上で宣言した。
鈴木軍の誕生は2011年5月3日の新日本福岡大会、そのメンバーは鈴木みのる・タイチ・TAKAみちのく。
その後にランス・アーチャーやシェルトン・ベンジャミン、デイビーボーイ・スミスJr、エル・デスペラード、金丸義信、ザック・セイバーJr、DOUKIらも加入し、一大勢力となった。
(⇒ スポーツ報知 2022年12月1日記事:鈴木みのるの突然の鈴木軍解散宣言に惜しむ声殺到「寂しいけれど、とてつもなく大きな足跡を残したよ」) その鈴木軍が最も大きな存在感を見せたのは、何と言っても「NOAH暗黒期」のドン底――
2015年3月にNOAHの4大GHCベルトが全て鈴木軍に流出したときだったろう。
この前後、鈴木軍はNOAHをまさに席巻・占領していた。
新日本を主戦場にしていた鈴木軍がそうであったということは、逆に言えば新日本はNOAHに選手を送り込んでいたということになる。 もはや遠い過去の話になってしまったが、NOAHは新日本の子会社か衛星団体のごとく、その支援をモロに受けていた時代があったのである。
(⇒ 2016年3月28日記事:鈴木軍の繋ぐNOAHと新日本)(⇒ 2016年12月11日記事:鈴木軍とは何だったのか 新生NOAHと鈴木軍の今後) 鈴木軍はまるで新日本の傭兵軍団であるかのごとくNOAHに侵攻し、占領した。
これはプロレス界の考え方(というか、実態)としては、「NOAHを支援しに行った」ことになる。
一介の一ユニットがこんな大任をやったのは、なかなか歴史的なことである。
これだけでも鈴木軍は、歴史に残るユニットだった。
そしてもう一つ、特筆すべきは――
「鈴木軍」という安直なまでの単純素朴なネーミングにも関わらず、
さらに一人一人が「誰かの下に付く」というイメージがあまりないにも関わらず、
逆に無類の団結力を持っているイメージの形成に成功していたことがある。
私など、
いまだにシェルトン・ベンジャミンやデイビーボーイ・スミスJrは「鈴木軍所属のまま」であるというイメージを持っているのだが、そういう人は少なくないのではないだろうか。
これは鈴木みのるの「人徳」なのかどうかわからないが、とにかく珍しくも素晴らしいことだ。
その鈴木みのるも、もう54歳。
なんとなく、そろそろプロレスラー人生のゴールが見えてきた気もするのだが……
それでも師匠の藤原喜明のごとく、70代になってもプロレスをやっていてもそれはそれで違和感がなさそうなのも、鈴木みのるの人徳であるのだろうか。
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