週刊現代のウェブサイトにおいて、1970年(まだ日本プロレス時代)のアメリカ遠征中のアントニオ猪木のフィルム動画が初公開された。
(⇒ 週刊現代 2022年10月16日記事:【超貴重動画を無料公開】7分20秒の「秘蔵フィルム」…アントニオ猪木氏を撮った「現存する最古の映像」の全貌) なんでもこのフィルム、1970年代の新日本プロレス・野毛道場から出されたゴミの中に入っており――
清掃事務所の人が「こんなのがあったけど、貴重なものじゃないかと思って」
野毛道場へ返却に来たのを、新日勤務のA氏が受け取ったが私物入れに入れてそのまま放置、
退職後の最近になって自宅の整理をしていたら見つけた、という経緯らしい。
いや、本当に、この清掃事務所の人というのは殊勲甲である。
よくぞこのとき、返しに来てくれたものである。 そしてまた、こんなのを(たぶん中身も確認せずに)ゴミに出した当時の新日本のズボラさというか罪深さが、つくづく感じられるというものだ。
そして、最近になるまでA氏の自宅にそのまま眠っていたというのも、かえって幸運だったのかもしれない。
もしそのまま野毛道場に置かれていたら、上野毛道場に移ったときに今度こそ本当に捨てられていた可能性濃厚だから……
さて、それはともかく、1970年当時の猪木である。
フィルム動画を見た人は誰でも感じると思うのだが……
とにかく(当時27歳の)アントニオ猪木、堂々たるレスラーの風格を漂わせているではないか。
スーツ姿でアメリカの街中を歩く猪木の分厚い長身には、たいていのアジア人差別主義者も因縁を付けられそうにない。
その練習風景(練習方法)は、初めて見る人に「(あのダーッのおじさんの猪木が)こんなすごいことやってんの?」と思わせるに十分である。
そして試合風景と言えば、まさに今で言う喧嘩ファイト――
猪木は猛烈なストンピングを弱った相手にひたすら浴びせ、逆に言えばただそれだけ、まさに「派手な技を使ってはならないヤングライオン」そのままの戦い方である。
相手の外国人レスラーは「油断させておいて猪木の腹にストレートパンチをぶち込む」というヒールの動きをしているので、意外にも猪木はアメリカでベビーフェイスとして戦うことがあったのだと思われる。
しかしベビーフェイスにして、この獰猛乱暴なストンピングの嵐である。 もちろん「これが後年の、あのアントニオ猪木か」と思って見るからそう思える、という面はあるにしても――
それでも「ヤングライオン時代の猪木」は、やはり後年の猪木なのだと感じずにはいられない。
私はリアルタイムで1970年代の猪木を見た世代ではないが、そりゃこんなレスラーが戦うのを見せられれば、猪木ファン・猪木信者になる人が大勢いたのも納得できる映像なのだ。
ただ、こうなると、
「アメリカ遠征時代のジャイアント馬場」のフィルム映像を見たくなるのが人情というものだ。
まだ若き馬場、1970年時点では猪木をナンバー2とするナンバー1であった馬場が、アメリカの街を闊歩する――
そしてアメリカでトレーニングし、アメリカで戦っている姿。
もしそんなものが新たに発掘されれば、プロレスファンには望外の贈り物となるのだが……
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