10月1日、アントニオ猪木が自宅で死去した。享年79歳。80歳には及ばなかった。
近年の猪木は難病と闘う姿を積極的にメディアに取り上げられ、それどころかつい最近には24時間テレビに出演するだけでなく、新会社まで設立するという「最後の輝き」を放っていた。
だが、その姿を見る人は誰しも、いずれ近いうち猪木が死去することを予感したに違いない。
燃える闘魂の最期は、それほどまでに衰えていた。
そしてこのブログでも何度か書いてきたが、アントニオ猪木の死は「昭和」が本当に終わる時だと私は思ってきた。
(⇒ 2021年3月9日記事:「アントニオ猪木死亡説」と昭和が真に終わるとき) もちろんアントニオ猪木のプロレス現役引退は1998年(平成10年)だが、やはり猪木は「昭和のスーパースター」である。
そしてついに、その日が来た。
今年2022年は、昭和97年に当たる。
昭和97年10月1日で、昭和は終わった。
人によっては(というか世間一般的には)、いや長嶋茂雄や王貞治が死去しなければ昭和は終わらない――
と感じるかもしれないが、しかし
「人の人生に(それを変えるような)影響を与えた」という点で、アントニオ猪木はその他の昭和のスーパースターたちよりずっと飛び抜けているのではなかろうか。
奇しくも前日の9月30日には、落語家の三遊亭円楽(旧名:楽太郎)が72歳で死去している。
彼もまたプロレス界に縁の深い人として(プロレスファンには)知られ、プロレスファンには相次ぐ悲報となってしまった。
ともかくもアントニオ猪木については、一本のブログ記事で追悼できるような存在でないのは言うまでもない。
その生涯を書こうとすれば、10巻本くらいは必要になりかねない。
それにしても、生涯のライバル・ジャイアント馬場の死去(1999年)から23年――
こんなにも自分が馬場に「遅れる」ということを、馬場死去の報を聞いたときの猪木は想像したろうか。
いや、ファンの方は、猪木が2022年に死去しないならいつ死去するのか、想像できただろうか……
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