相変わらず、最近はプロレスの試合を見れていない。(忙しいのである)
そんな中、来年の新日本プロレス1.4&5東京ドーム大会のテーマソングを、あの「とんねるず」木梨憲武が手がけることが発表された。
そのテーマ局は宇崎竜童「生きてるうちが花なんだぜ」をロック風にアレンジしたもので、
木梨憲武は「ドン・キナシ」として大会を盛り上げるということらしい。
(⇒ ENCOUNT 2020年11月30日記事:木梨憲武×オカダ・カズチカ初共演 東京ドームでドン・キナシが大暴れか) この報を聞いて、プロレスファンは「おお!」と盛り上がるだろうか。「いいことだ!」と思うだろうか。
おそらく答えは、「なぜ木梨?」というものなのではなかろうか。
だが、それだけではない。
たぶんオールドファンは、「嫌な予感」を覚えているはずである。
その理由は言うまでもない……
「プロレスと芸能人(お笑い芸人・コメディアン)が絡んだら、ロクなことがない」
という「記憶」があるからである。 しかしその「記憶」とは、そういう嫌な予感を覚える人たちのほとんどにとって、例の1987年12月27日の――
「たけしプロレス軍団(TPG)が新日本・両国大会に登場し、
あげくの果てに本物の大暴動が起こってしまった」
というただ一例しかないだろう、ということは言っておかなくてはならない。
そしてあの大暴動が起こったのは、ビートたけしら芸人陣のせいであると言うよりも、
むしろアントニオ猪木ら新日本プロレス側のせいだろう、ということも言っておいた方がよい。
あえて、逆張りして言うならば……
あのときプロレスファンは、プロレスに対して純粋だったあまり、「せっかく世間とコラボできる、アピールできる機会」を、むざむざ激しく拒絶してしまったとも言えるかもしれないのだ。
これは、現在の新日本プロレスのオーナーである木谷ブシロード会長がしきりに言っていた、
「全てのジャンルはマニアが潰す」
という言葉に通じるところがあるとは言えまいか。 とはいえ、ここでこの時代に木梨憲武をチョイスするというのは、確かにしっくりこないところがある。
こう言っては何だが、今はもうとんねるず自体が「旬」な芸人とは言えないだろう。
(もっとも、だからこそギャラ的に折り合ったという面もあるかもしれない。)
おそらくここは、プロレスファンにとって我慢のしどころなのだろう。
新日本プロレスは、「世間に届く」方法を試行錯誤している。
そして確かにこれは、試行錯誤しなくてはできないことである。
この時代、あえて(そんなにプロレスと関わりがあるように感じられない)木梨憲武を起用する……
その結果が吉と出るか凶と出るか、どうせすぐ結果はわかるのである。
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