ところで、いくらヒドい職場でもそこを離れては生活できないから辞めない、というのはわかる。
しかし、学校の場合はそうでもないはずである。
今いる、自分がイジメのターゲットにされている学校を離れたからと言って、別に生活できなくなるわけでもない。(むろん生活費は親が出しているのだから。)
なのに、なぜこうも人は学校へ行くことにこだわるのだろう。
なぜ親も、わが子が酷い目に遭っていると知っていながら、なお辞めさせないのだろう。
なるほど「わが子に教育を受けさせる」のは憲法上の国民の義務である。(「自分が教育を受ける義務」ではない。)
しかし別に学校へ行かせなくたって、教育を受けさせることはできる。
本屋に行けば山ほど参考書が売ってあり、それで自学自習すればよい。
家庭教師を雇ってもいいし、不登校の子ども専用の学校だって世の中にはある。 その世の中では
「学校より塾の方が先生の教え方が上手い」というのが通説なのだから、だったら塾だけ行けばいいではないか? 公教育側だって、何が何でも学区内の子どもを学校に通わせなくたっていいのではないか?
たとえば、学校の勉強など一切せず、資格の勉強に集中すればどうだろう。 大卒が受験条件になっている資格もある(こういう条件は撤廃すべきだと思う)ので一概には言えないが、人が学校で勉強するあいだ司法試験の勉強をしていれば、かなりの確率で弁護士になれるのではないか。
その方が学校に行くよりも、はるかに得だし賢いのではないか。
いや、そもそもの話だが、
生まれつき勉強に向いてない人もいるという事実をどう考えるか。
そういう人に学校に通え勉強しろなどと強要するのは、
世界残酷物語の一つではないかと思う。
こんなことを言うと必ず、「いや、それでは集団行動ができなくなる。社会性が身につけられない」という意見が出る。
しかし私は、集団行動だの集団生活だのというのが骨の髄まで嫌いだしバカにもしているので、それがたいした反論とは思わない。
集団が大事だという思想は、絶対に、百パーセント、必ずイジメを生むのである。
『世界残酷物語』(1962)
- 関連記事
-
スポンサーサイト
- http://tairanaritoshi.blog.fc2.com/tb.php/62-a068d387
トラックバック
コメントの投稿