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なぜイジメ自殺は…その7 戦争はなぜ悲惨なのか

 私の祖父は太平洋戦争中、予科練(海軍飛行予科練習生)に入っていた。
 強くするための愛のムチだったとは思わないだろう。


 新兵イジメは日本に限らずどこにでもある。

 ただ先輩というだけで、後輩を殴っていいとかイジメていいとか思う者がいる。

 部下や後輩が口答えするとか異論を唱えるなど、とんでもないと思う者がいる。

 彼らにはある程度の罵声を浴びせて問題ないと思う者がいる。

 それを肯定する雰囲気が、組織内だけでなく社会全体に広がっていることも多々ある。


 これも幸いなのだが、私は祖父が自分の後輩を「楽しみとして、当然のこととして」殴っていたかはわからない。

 性格的にそうはできなかったと思いたいが、確証はない。

 雰囲気の力は、しばしばその人間の元々の性格をも超える/変えるからである。

(もっとも戦争末期だったので、本当に後輩は入らなかったのかもしれない。)

 
 私が旧日本軍の特攻隊、「スマートな」海軍などを肯定したり美化したり、素直に感動するのを押しとどめるのは、まさにその中にこの手の雰囲気にノリノリだった奴がいたからである。(もちろん陸軍にも民間にもいた。)

 そういう連中は爆弾になって死ぬべきだったし、空襲で焼け死ぬのもお似合いの運命だったと思わないではいられない。
 
 こういう連中だけが死ぬなら本土決戦はやるべきだったし、戦争自体が世にも素晴らしいものだと思う。

 しかしペロポンネソス戦争中(BC431-BC404。アテネとスパルタが戦った)のスパルタ兵捕虜も言ったことだが、「飛んでくる矢は勇者と臆病者を区別しない」。

 現代の銃も爆弾も、イジメ人間やろくでなしだけに当たったり被害を及ぼすわけではない。

 死すべき/除去されるべき人間が死なず、そうならないでいい人間が死んでしまう。

 これこそが、戦争や病気が悲劇だという最大の理由だろう。


*********************************
 
 それにつけても思うのだが、たかが同じ職場にいるというだけで、同じ日本に生まれて生きているというだけで、なぜ我々は連帯感を覚えるのか。

 いや、覚えるべきだと思うのか。

 特に、なぜ先輩や上司には(たとえ表向きだけだとしても)全面的に下であるべきだと思うのか。

 そういう雰囲気に反発していたはずなのに、なぜいざ自分がそういう立場になると、無条件で「上」に扱われるべきだ/それが世の中の道徳だなどと思うようになってしまうのか。

 このことについては『尊敬なき社会』で詳しく述べた。

 だからここでは、ごく簡単に述べることにしよう。
 幸い特攻隊に出ることもなく終戦を迎えたのだが、例によって他の同期たちと同様、先輩らによく殴られていたそうである。

 私もそうだが、その全てが「愛の鉄拳制裁」だったとはあなたも思わないだろう。

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プロフィール

平 成敏

Author:平 成敏
1970年代生まれの男性。
認定ファシリティマネジャー、主に施設管理の仕事に従事。
プロレス、社会、歴史など、興味関心のある分野についてあまり脈絡にこだわらず書いていきます。(⇒プロレス以外の話題については、別ブログ【社会・ニュース・歴史編】をご覧ください。)

著作一覧(アマゾンkindle版)

ペペチール第三王朝の興亡:表紙 世界系統樹:表紙 尊敬なき社会(上):表紙 尊敬なき社会(下):表紙

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