唐突な引退発表以来、その引退が不本意なものであることを隠そうともしていなかった、スターダムの葉月。
その彼女が12月24日のスターダム新木場1stRING大会で、引退試合&引退セレモニーを行ったのだが……
これがまあ、予想を上回るようなリング上のマイクとバックステージインタビューだった模様だ。
(⇒ バトルニュース 2019年12月25日記事:引退式を終えた葉月がリング上で不満を激白!「こういう不本意な引退はしたくなかった。スターダムのことは大っ嫌い」) まずはリング上でのマイクだが、
●やっぱりプロレスは信頼関係がないとできない。
●こういう不本意な引退はしたくなかったし、すると思っていなかった。
●スターダムのことは大嫌いだけど、大江戸隊と葉月のことを応援してくれた人のことは大好き。 と言って、刀羅ナツコを先頭にして組んだ騎馬に乗り、会場を一周してファンの最後の別れを告げたそうだ。
さらに、この前には――
週刊プロレス、
親会社のブシロードファイトの原田社長、
クイーンズクエスト一同、
ジャングル叫女、
葉月の属する大江戸隊のメンバー一同、
元大江戸隊の山口菜緒、
引退した渋沢四季、
同期であるまなせゆうなと引退したコグマ、
元スターダムGMの風香とその息子、
エグゼクティブプロデューサーのロッシー小川(葉月に「分厚い封筒」を渡したそうだ)、
メインイベントに出場するためセレモニーに出席できない花月の代理としての花月の母(これもスゴいと言えばスゴい代理だ)、
そして、葉月自身の家族(葉月と抱き合って泣いた)……
という大勢の「仲間」と引退セレモニーを行っている。
そんな人たちが周りにいるというのに、「プロレスは信頼関係がないとできない(つまり、信頼できない者がいるということ)」「不本意な引退」「スターダムは大嫌い」とマイクで言ってしまうのである。
いやあ、あなたにはこんな度胸があるだろうか。
どんなに不本意・不愉快だったとしても、こんなことはできないのが大半の人間ではあるまいか。 葉月という人間がどれだけ度胸のある人間か、プロレスの試合を見るよりずっとよくわかったと感じるのは、私だけではないだろう。
そして次に、バックステージインタビュー。
●引退理由は、会社から「言うな」と言われている。会社が悪くなってしまうから。
●自分が正しいことを言っても「間違ってる」と言われることもある。
●まず人間として、みんなみたいにクソになりたくなかった。
●スターダムの所属選手全員、よく考えた方がいい。自分が引退したのは「オマエらのせいだぞ」と思う。 ……いやはや、
プロレス史上ここまでトゲトゲしく、まるでクソをぶちまけたような激烈な引退シーンがあっただろうか。 これはもう記念碑的な引退劇であって、これだけで葉月はプロレス史に名を刻んだと言っていいかもしれない。
さて、私はもちろんのこと、葉月が引退を決意した本当の理由を知らない。
スターダム内で何があったのか、選手間に何が起きているのか、真相なんて知るはずもない。
しかし当然、感じることくらいはある。
こんなことが起こると(特にプロレスファンが)反射的に感じるのは、「やはり女子の世界は……」というものだろう。
女子は男子と違い、あからさまに感情を剥き出しにする。
それだから女子の試合は面白いのだ、ともよく言われる。
それはそれで正しいのかもしれないが、私にはもっと大きい「枠」で見た方がいいように思えるのだ。
つまり、女子だから、中でも特に葉月だから感情剥き出しになりやすい、というのではなく――
もはや男女関係なく、「SNSネイティブ世代は、旧世代より度胸がある」と言うべきだと思うのである。
もし葉月とそれを取り巻く登場人物・団体らが全てそのままで、ただ時代だけが昭和であったら……
やはり葉月はどんなに不満や憤りを抱えていたとしても、今回のようなマイクもインタビューもしなかった/できなかっただろうと思う。
有り体に言えば、「我慢」していたと思う。
しかし今、SNSをはじめとするネット社会は、「誰でも言いたいことを言う」のを当たり前の環境にしてしまった。
ネット社会は虚構でも非現実でもなく、まぎれもなく人間を取り巻く現実の環境の一部である。
そこでは誰でも言いたいことを書き込んでおり、暴露も訴えも実にありふれた日常なのだ。(つい最近も、ジャガー横田の夫・木下医師がパワハラ暴露されたばかりである。)
そういう現実環境に若い頃から生きていれば、かつては我慢していたことも暴露するのが普通になって当然である。
もう時代は、「たとえ不満があって辞めるにしても、言うなと言ったことは言わないだろう」が通用する時代じゃないのである。
それは一般人もプロレスラーも、分け隔てなく同じなのは言うまでもない。
別に今の人間が、昔の人間に比べて「度胸が増した」というわけではないにしても――
度胸の量は同じでも、「我慢のハードル」は確実に下がっているのだ。
よって、これからのプロレス団体にとって、選手管理はますます難しくなってくる。
(特に女子は、と言って良いかもしれない。)
しかしそれはプロレス団体に限った話ではなく、一般社会の全ての団体に同じことが言える。
プロレスは確かにここでも、「社会の縮図、社会を映す鏡」になっているのだ。
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