青天の霹靂であり、かつショッキングすぎるニュースである。
5月に4度目の世界ジュニアヘビー級王者の戴冠を果たしたばかりの、全日本プロレス所属の青木篤志が――
6月3日の夜、首都高をバイクで走行中に単独事故死した。
カーブを曲がりきれず、側壁に激突したという。享年41歳。
このニュースは本日6月4日のちょうど始業時間ごろにネットにアップされたのだが、朝からそのことばかり考えて仕事が手に付かなかったプロレスファンも多いのではないだろうか。 あまりにも突然のことで、そのショックは特に全日本の関係者・ファンにとって計り知れないものがある。
青木篤志は、NOAHを退団し2013年1月に全日本に移籍した「元ノア5人衆」の一人である。
確かその頃のインタビューでは、プロレス自体を引退することも考えたと言っていた。
それから6年、青木は引退するどころか全日本ジュニア復興の最大功労者として4度目の王座に返り咲いたばかりだった。
そして6月18日には、「変態自衛隊」の盟友である佐藤光留との防衛戦を控えていた。
元ノア5人衆の中で、リーダーの秋山準は全日本の社長となった。
現時点で全日本に残り、秋山と同じ道を歩んでいるのは、(秋山の付き人だったという縁もあろうが)青木篤志ただ一人である。 近年の青木は、道場長として若手の育成も任されていたようだ。
まさしく青木は全日本ジュニア中興の祖であり、全日本の柱石であり、言ってみれば秋山の「右腕」「股肱の臣」「最側近」のようなものである。
おそらく秋山は、青木に盤石の信頼を置いていたろう。
その試合ぶりは、素人が見てもクオリティの高さが滲み出ているようなものだった。
もし青木がいなくても、全日本のジュニアはいずれ復興していたかもしれない。
それは確かに団体が続きさえすれば、いつかは必ず復興する日が来る。
しかし青木がいなかったなら、こうまで早くその日を迎えることはなかったと思われる。
全日本は、大事な柱石を突然に失ってしまった。
秋山準は10年前に兄貴分の三沢光晴を失い、今また弟分の青木篤志を失った。
その辛さは、いかばかりのものだろうか。
もしこの悲劇の
「再発防止策」があるとすれば、それはもう「選手がバイクを運転することを禁止」するしかないだろう。
だからこそ私はバイクに乗りたいと思ったことがないし、これからも乗ることはないのだが、バイクはやっぱり「コケたら終わり」の危険極まる乗り物なのだ。
しかしおそらく、そういう禁止令は徹底できない。
バイクが好きな人はどうやったって好きだからである。
むろんさすがにしばらくは、バイクの運転を慎重にしようという意識は高まるだろうが……
今回の凶報は、全日本のみならず日本のプロレス界にとって――
惜しんでも惜しみきれぬ、悼んでも悼みきれぬものであった。
青木篤志はつい最近もサムライTVの速報バトルメンにゲスト出演し、元気で快活な姿を見せていたばかりだった。
そういう人が、こうして突然にこの世を去る。
誰もがわかりきっているはずなのだが、人の世の儚さを感じずにいることはできない。 ただただ、ひたすらに残念である。
青木篤志選手の、ご冥福をお祈りしたい。
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