元54代横綱にしてプロレスラーもやった輪島大士が10月8日、自宅で亡くなった。享年70歳。
輪島と言えば、馬場全日本プロレスであのタイガー・ジェット・シンとの対戦でゴールデンタイム生中継デビューし、にも関わらず2年くらいでいつの間にか密やかに引退した。
しかし、同じ元横綱プロレスラーとして後に続く北尾光司がプロレスファンからはネタ的嘲笑と最低の評価を受けているのに比べれば、「プロレス下手ではあるがとにかく一生懸命やっていた」との定評がある。 そして何と言っても、
大相撲でははるか格下に当たる天龍源一郎のすさまじい攻撃(「顔面にシューズの紐の跡がつくほどのキック」など)に晒され、それを見た当時のUWFトップの前田日明が危機感を抱いた――
という話は、UWF本を見ればことごとくと言っていいほど書いてある。
「風が吹けば桶屋が儲かる」式の因果論で言えば、輪島は間接的にUWF極盛期を現出させた功労者、ということにもなるかもしれない。
それにしても、これもまたあらゆるプロレス本に書いてあることなのだが――
輪島は国民的大スターで相撲界の頂点にあった人物でありながら、リング上や練習では若手同然の扱いだった、
それにたいした文句も言わずに従っていた、というのは、文で読むのは簡単だがたいていの人にできることではない。
もちろん見ようによっては、そんなことには2年間しか耐えられなかったと言うこともできる。
また、皇帝でありながら刑務所の囚人となった清朝・満州国のラスト・エンペラー溥儀に似ている、とも思える。
あのいかにも繊弱そうな溥儀にそんな境遇が耐えられたなら、もちろん横綱なら耐えられただろう――
と言うより、なるようにしかならなかっただろう、とも考えられる。
ただ、
冷静に考えて当時の全日本プロレスにとってみれば、輪島のパッとしなさと短期での引退は、まぎれもなく育成の失敗である。
(もちろん全日本に言わせれば「期待外れ」だ。)
そして
何の因果か新日本プロレスは、これに続いて北尾の育成にも失敗した。
(もちろん新日本に言わせれば「あまりにも北尾がヒドかった」ということになろう。)
ほとんど同時代にプロレス界の二大団体が立て続けに「元横綱」の育成に失敗した、というのは、それが極めて困難な課題であることを示唆している。
これは、「そもそも横綱でありながら相撲界で問題を起こした問題児だからこそプロレスに流れてきたのだから、そんな問題児を上手く扱えるわけがない」と言ってしまってよいものだろうか。
北尾はメチャクチャだったかもしれないが、輪島はとにもかくにもマジメだった。
その2通りのどちらもプロレス界では大成しなかったという事実は重い。
そして、不祥事が原因でなくプロレス界に流れてきた元横綱というのは、今のところ曙が最後である。
曙は全日本プロレスの三冠王者になったこともあるわけだが、それでプロレスラーとして大成したかと言われれば、あまり芳しい反応は返ってこない気がする。
これから元横綱がプロレス界に転向することがあるのかないのかわからないが――
今までの歴史を見る限り、本人がマジメに取り組もうとハチャメチャに取り組もうとナメて取り組もうと、その行く末はそんなには明るくない、ということが言えそうである。
プロレス史上の「実現しなかった夢の対決」として、「北尾vs輪島」を挙げる人はあまりいない。
それはたぶん、聞くからに面白くなさそうな(昔ならヤジが飛ぶような)試合なのだろう。
しかし個人的には、実現して欲しかった試合でもある。
今だったらそういうことはRIZINで行われるのだろうが、とにもかくにも当時であればかなりの視聴率を取れそうな対戦ではないか……
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