スポーツ誌のNumberWebに、飯伏幸太のインタビュー記事が載った。
これは
飯伏の方から「もっとファンに知ってもらいたい」として、堀江ガンツ氏に逆にインタビューを申し込んでできた記事だという。
なおその内容は、ほとんど『KAMINOGE』81号での飯伏のインタビュー記事と重なっている。
それでも(もっと発行部数の大きい)スポーツ誌に自分から載せてくれと言うのだから――
飯伏にとって、いかに今年のG1クライマックス決勝での棚橋弘至戦が重大なものであったか、よくわかるというものだ。
(⇒ NumberWeb 2018年9月30日記事:ぼくらのプロレス(再)入門 飯伏幸太、逆オファーインタビュー。「棚橋さんの中に“猪木”を感じた」) まず思うのは、プロレスを全然知らない世間の人にとっては――
プロレス「なんか」でこんなことが起こっているなんて、
プロレスラー「ごとき」がこんなことを考えているなんて、
とても想像もつかないだろう、ということである。
これはもう、オピニオン誌や『現代思想』『ユリイカ』なんてのを読んでいる感覚ではないか。
しかもそれを語っているのは、プロレスファンに取ってみれば「何も考えてないレスラー」の代表格である飯伏幸太ときている。 これだけでももう、興味をそそることである。
飯伏の言うことを聞いてみると、
今の新日本プロレスは
●ケニー・オメガのスゴ技&身体能力で魅せる「アスリートプロレス」
●身体能力とかではなくシチュエーションで客を揺さぶる「棚橋プロレス」
●そのどちらでもない「飯伏幸太のプロレス」
の三国志状態にあるかのように見える。 しかもこれは、「頭から落とすばかりがプロレスじゃない」と言うSANADAや、
もちろん最大の支持を得ている内藤哲也らの存在を捨象しての話だ。
これはもしかしたら経営とかの世界でもそうかもしれないが――
もはや少なくとも
新日本プロレスでは、何らかの思想やイデオロギーを持っていないレスラーは、決してトップどころに行けないということを示しているのかもしれない。
棚橋弘至はYOSHI-HASHIも誘っていたかもしれないが、飯伏も自分の側に来るよう誘っていた。
しかしそれが拒まれたと見るや、それを観客に示すため「自分の顔を張れ」と目で言ったのが飯伏にはわかったという。
そこで飯伏は、自分はアスリートプロレスでも棚橋プロレスでもないことを示すため、何もせずにリングを下りたという。
そして飯伏は棚橋のことを、アントニオ猪木に実は最も近いレスラーだと感じた……
「棚橋は猪木を否定したとされているが、実は猪木に最も近い」というのは、目新しい見解というわけではない。
こういうことを言ってきた人・思ってきた人というのは、けっこうな数いるはずである。
また逆に、以上のこと全てを、「単なる深読みのしすぎ」と感じる人もいるだろう。
棚橋が「棚橋プロレス」をしているというのは、単に身体能力が落ちてきてシチュエーションに頼らざるを得なくなったからだろうとか、
そんなことをしてればどうやったって(晩年の)猪木に似てくるだろう、とか…… しかし重要なのは、飯伏幸太というレスラーが現実にこういうことを考えてプロレスをしている、ということだろう。
なるほど飯伏幸太が感じたことは全て「気のせい」かもしれないが、しかしその「気のせい」を真実と感じて現実の行為をしている、ということが、現実にとって重要でないわけがない。
共産主義は間違いであって勘違い・筋違いの思想だったのかもしれないが、それでも現実の歴史に巨大な影響を与えたではないか?(そして、復活の可能性だってないわけではない。)
「あの」飯伏幸太でさえ、これだけイデオロギーの世界に踏み込んでいるのである。
そしてこのイデオロギー対決のシチュエーションに火をつけたのは、他ならぬ棚橋弘至だった。
(⇒ 2018年8月14日記事:棚橋弘至はケニー・オメガのプロレスが好きじゃない-イデオロギー闘争はプロレスの華・独自性) この新日本の「イデオロギー三国志」に、その意識が希薄そうなオカダ・カズチカらがどう反応していくのか、これも注目の点である。
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