G1クライマックスに優勝して一夜明け、棚橋弘至が会見を行った模様が新日本プロレス公式サイトに出ている。
(⇒ 新日本プロレス公式サイト 2018年8月13日記事:棚橋弘至一夜明け会見) ここで棚橋は、興味を引かずにいられないことを言っている。
(1) いいモン(ベビーフェイス)同士である自分とケニーの試合は難しい。
(2) だから、「オレはお前のプロレスが好きじゃない」というイデオロギーで対立構造を作るしかないと思う。
(3) 自分は本当に、ケニーのプロレスが好きじゃない。 残念ながら、棚橋はなぜ自分がケニーのプロレスが好きじゃないのか言わなかったし、そういう質問もされなかったようだ。
しかし推測するに棚橋は――
ケニーのやっている「派手で、激しく、一目でスゴいと思われるプロレス」が、
端的に言えば「初めからベストバウト狙いのプロレス」が好きじゃない、ということなのだと思われる。 棚橋は
「ベビーフェイス同士の対戦は難しい。
だからわざとイデオロギー闘争の構図を作って対立構造を作ろうと思う。」
なんて、まるで作家かシナリオライターの種明かしみたいなことを言っているのだが……
そのすぐ後で「ケニーのプロレスが好きじゃないのは本当」と、事実(リアル)による説得力を持たせようとしているわけだ。
こういった点で、やっぱり棚橋はプロレスラーの中のプロレスラーだ、と感じる人は多いだろう。 ところでプロレスの特異な点と言えば、「イデオロギー闘争」という言葉がファンやマスコミの間で普通に使われるというところである。
そして実際、いささかでもコアなプロレスファンが一番喜び・興奮するのが「イデオロギー対決」だということには、コアなファン自身がきっと認めるだろう。
イデオロギーというのは、普通の生活の会話の中でそんなに出てくる言葉ではない。
しかしプロレス界では話が違い、なんたって
グーグル検索で「イデオロギー」と打てば「イデオロギー プロレス」という候補がすぐ出てくるくらいなのだ。
いったい他のスポーツ界、いやプロレスがスポーツでないというなら演劇界でさえ、イデオロギー闘争なんて言葉は全然聞かないものである。
しかし「新日本 vs Uインター」全面戦争を頂点として、このイデオロギー闘争というものでプロレスファンがどんなに盛り上がってきたか、ちょっと測りがたいものがある。
まさにイデオロギー闘争はプロレスの華――
「プロレスはスポーツでも演劇でもなく、プロレスはプロレス」という昔の名言を、最もよく表現するものなのだろう。
そして「派手なプロレス」と「プロレスはそんなもんじゃないよ」という対立は、これから百万年プロレスが続いたとしても解消されそうもない図式である。
つまりプロレスラーもプロレス団体もプロレスファンも、無尽蔵の金鉱脈を持っている、と言ってもいいかもしれない。 それにしても棚橋とケニーと言えば――
昔は「チャラ男」と「インディーのコミカルレスラー」(と言っては言い過ぎか)だった二人である。
その二人がプロレス界の頂点に位置する今、行き着いたところはやはりイデオロギー闘争なのだ。
プロレスラーも他のどんな人間も、最後に行き着くところ、あるいは拠り所は、やはり「思想」または「好み」なのだ、ということだろうか……
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