マサ斎藤が、7月14日に死去した。享年75歳。その発表は健介オフィスからである。
(⇒ デイリースポーツonline 2018年7月16日記事:プロレスラー・マサ斎藤さん死去 75歳 パーキンソン病で闘病 猪木と巌流島決戦) マサ斎藤といえば監獄固め、そして「巌流島の決闘」。
そしてあの凄まじく分厚い肉体は、一度見たら忘れがたい印象を残す。
たぶん歴代日本人レスラーの中で、肉体の見た目では最強ランクではなかったろうか。 あんな人と戦って勝てる人がいる、アントニオ猪木は何度も勝っている、というのが信じられないくらいの話だ。
その彼が、YouTubeで御覧になった方も多数と思うが、あんな背筋が凍るような(目を背けたくなるような)病気の話し方をするようになるなんて――
パーキンソン病というものは、つくづく恐ろしく、痛ましいものである。
そしてもう一つ――
マサ斎藤といえば、もちろんマサ北宮である。
北宮光洋(みつひろ)は、今はなきダイヤモンドリング(健介オフィス)出身で、マサ斎藤の愛弟子であった。
しかしもちろん、マサ斎藤とは何の血縁もない。 それなのに彼は、わざわざ望んで(悪く言えば)マサ斎藤のコピーレスラーたらんとしてきた。
監獄固めを使うのはもちろんのこと、コスチュームも同じタイプのものを使い、風貌も似せ、決め技は「サイトー・スープレックス」である。
あんまりそう言われることはないのだが、こういうレスラーは前代未聞ではなかろうか。
武藤敬司に憧れたレスラーは多くても、そのコピーになろうとしたレスラーは絶無である。
蝶野正洋や橋本真也「タイプの」レスラーになろうとしているレスラーは多いかもしれないが、しかし完コピしようなどというレスラーはさすがにいない。
レスラーたるもの――いや人間誰しも、影響を受けた人物の「マネをしている」なんて言われることは、絶対に避けようとするものである。
少しでも自分の独自色を出そうと汲々とするものである。
しかしマサ北宮は、あえてその「誰も行かない道」を選んだ。
その意味でマサ北宮は、まさしく空前にして唯一無二のレスラーだろう。
(かつては、佐々木健介が「長州力2世」を襲名するという話もあったようだが。) だがこれが「絶後」になるかといえば、そうでもないと思われる。
なにせマサ北宮は、マサ斎藤と一字も通じるところがないにも関わらず、マサの「名跡(みょうせき)」を受け継ぐ―― そしてファンにそれを受け入れさせたという「前例」を作った。
であれば今後、名レスラーが自らの弟子に自分のリングネームを継がせる、あるいは逆に弟子の方が望んで師匠のリングネームを継ぐ、ということも割と抵抗なく実行されそうだ。
あえて実利的に言ってしまうと、これには師匠と弟子の双方にとってメリットがある。
師匠からすると「自分の名が引退後も“現役で残る”」ことになるし、弟子にとっては師匠のネームバリューはもちろん「伝統」「正統後継者」というイメージまでも身に帯びることができるからである。
マサ斎藤からマサ北宮への「名跡継承」は、実はプロレス界における静かな革命だったのかもしれない。
マサ斎藤は決して「トップ中のトップグループ」といった位置づけではなかったと思うが、プロレス界での名跡継承のがそういうバイプレイヤーにおいてこそ始まったという事実は、なかなかに興味深いものがある。 だがそれももちろん、マサ斎藤というレスラーが、イメージやインパクトといったものを持っていたからこそできたことである。
二世レスラーではない「マサ家」の名跡継承とその影響が、数十年後のプロレス界でどのようになっているものか、見届けてみたいものだ。
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