バブル時代、「東京の土地を全部買う値段で、アメリカ全土を買うことができる」と言われていた。 いくら何でもそれはおかしいだろうとみんな感じていたはずだが(子どもの私でさえそう感じた)、あれはおかしくなかったのだろうか。
それがおかしいからこそ「バブル経済」という概念があるのではないか。
「スポーツには価値がある。なぜならみんながそう思っているから」は正しい。
しかし同時に、それなら「バブル時代の日本の地価は適正だった。なぜならみんながそう思っていたから」のも正しいことになる。 後者がやっぱり正しくないとするならば、前者の正しさも(控えめに言って)かなり怪しいものとなるはずである。
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次に、「みんながそう言ってるから/思ってるから正しい」というのを考えてみよう。
これを要約すると、「(他)人が言ってるから正しい」ということになる。 そしてこれは、世の大多数の反発・反感を買う言葉でもある。
そんなのは自主性がない、あくまで自分で判断しろよと誰もが口を揃えるだろう。
しかしやはり、これもまた真実の描写だと言わざるを得ない。そうしなければ世の現実が説明できないからである。
近年ベストセラーとなった本に、
トマ・ピケティ『21世紀の資本』がある。
だがこれを、純粋に自分の判断で「買おう」と決めて買った人がどれだけいるだろう。

トマ・ピケティ『21世紀の資本』(みすず書房) おそらくこの本を買った99%の人が、「評判だから」「話題だから」「他人が言うから」買ったのではないだろうか?
純粋に本屋でたまたま立ち読みして、その内容が「いい」と自分で判断したから買った人って、はたして何人いるだろう?
まして、前からピケティを知っていた/注目していたなどという人が、1%以上いるとはほとんど信じがたいことである。 またプロレスファンの間では
、「鈴木みのるvsAJスタイルズ」戦(2014年8月1日)を非常に高く評価する声が多い。

鈴木みのるvsAJスタイルズ(2014.8.1新日本・後楽園ホール) 実際、この一戦をベストバウトだと(週刊プロレスその他ネットアンケートなどで)投票した人も大勢いる。
しかし私はその中には、この試合を全然見ずに投票した人/素晴らしい試合だと言っている人が、かなり含まれると思っている。
それどころか、見もしないでベストバウトだと「感じる」人さえ多いと思う。 なぜそんなことができるかというと、この試合が米誌『レスリング・オブザーバー』(世界で最も権威あるプロレス誌とされている)のデイブ・メルツァー記者(同じく世界で最も権威あるプロレス記者・評論家とされている、らしい)により、
五つ星の最高評価を付けられたからである。
そういう人が最高の試合だと言ったからこそ、自分も最高の試合だと思う―― こうした心理現象が起こらなかったと、誰が確信を持って言えよう。
いや、絶対に起こっただろう。起こらないわけがないだろう。
人が言うから自分もそれを正しいと思う。
これは現代日本人にとって、唾棄すべき態度である。
しかし実際には、こうした態度から真に逃れている人はまずいないと言ってよい。
それは「人に影響を受けない」ことを意味しているが、そんな人間はいないからである。
考えてみれば、どんなに偉い学者でも人の本を読んで勉強する。 「真の独創というものはない。新しいものとは、既存のものを組み合わせてしか生まれない」とはよく聞くが、これはまさに真だろう。
そもそもその道を志すこと自体、誰かの/何かの影響を受けてそうなるのに決まっている。
人間は他人に影響される。他人の「意見」に、その形成する「雰囲気」に影響される。
その影響とは否応なく人の心に及ぶのであり、いくら「自主判断こそ尊い」と固く信じたところで浸透を免れるのは不可能である。
人は、自分の「意見」ばかりか自分が「思うこと・感じることさえ」さえ他人に影響されてしまう。
いや、そうなることを積極的に求めさえする。 自主性が大事なんだ、それがない奴はダメだと心底信じる一方で、「自分がどう思うか決める」のに他人の思いを参照せずにいられない――こんなことは徹頭徹尾・100パーセント、自分だけしかできないはずのことなのに、実際はそうしなければ無理なのである。
たぶんこれが、ほぼいつでも誰にでも言えそうな意見しか言わないにもかかわらず、テレビ番組にコメンテーターが起用され続ける理由なのだろう。
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