3月1日のWBC世界バンタム級ボクシングタイトルマッチで――
山中慎介(35歳)は元王者のルイス・ネリ(23歳)に完敗を喫し、悔し涙とともに引退を表明した。
言うまでもなくネリは、リミット53.5㎏のところ2.3㎏もオーバーして計量に失敗し、王座を剥奪されて今回の試合に臨んだ。(⇒ 日刊スポーツ 2018年3月1日記事:山中慎介、ネリに敗れ現役引退「もちろん最後です」) (⇒ スポーツ報知 2018年3月1日記事:ネリ、王座剥奪 減量失敗の理由は栄養士の見通しの甘さか「いつも99%成功する」はずが… ) このことについて、ネリがボロクソ指弾されるのは当然である。
もちろん反対論もあり、総合格闘家(兼プロレスラー)の青木真也や、前衆議院議員の上西小百合などは、ネリの強さを認めるべきだと言っている。
(さもありなん、と思わせるメンツである。
この2人なら、いかにもこういう立場で発言しそうではないか。)(⇒ サンケイスポーツ 2018年3月2日記事:青木真也、ネリを擁護「勝ったヤツが正しい」 上西氏も同調/BOX) さて、それはともかくとして――
ボクシングの際だった特性と言えば、この「減量」と「凄く細かな階級分け」というヤツである。
ボクシングなんて全然見ない人であっても、ボクサーと言えばまず「過酷な減量」という言葉とシーンが思い浮かぶのではないか?
それほどまでにボクシングと減量の結びつき(観念連繋)は強く、それはほとんどボクシンググローブと等しいほど「ボクシングの象徴」となっている。 では、なぜボクサーは死ぬ思いで減量するのだろうか。
なぜ、自分の天然自然の体重で(階級で)伸び伸びと試合に出ないのだろうか。
その答えは、こうだそうである。
https://newageinglog.com/boxing-weight-control つまるところ、
「まず筋量を増やしておいて、その後でその階級のリミット体重ギリギリまで減量すれば、その階級では最大限に有利になる(はず)」 という理屈だろうか。
私はボクシングは見ることさえもほとんどない、完全なド素人である。
そのド素人の素直な印象として言うのだが――
いくら上記のような理屈を言われても、やっぱり「何でそんな不自然な/メンドクサイことをするのか」という疑問が、頭から離れることがない。
いくら公平を期するためとは言え、あんまりにも階級を細かく分けすぎだと感じるのである。
もう、理解することさえメンドクサイのである。
(バンタム級とフライ級のどちらが重い階級なのか、自信を持って回答できる一般人はあまりいなさそうだ。)http://boxing.jp/data/class.htm もしかしたら、ボクシングの厳密な階級制は――
大衆の広範な人気を獲得するという点で、ボクシングの足枷になっているかもしれない。
特に日本ではそうかもしれない。
なぜなら日本には、「相撲」という体重階級なき競技があるからである。 相撲には、階級分けなんてない。
相撲だって体重が重い方が有利に決まっているはずだが、だからといって階級分けなどしていない。
これはボクシングから見れば、言語道断な・メチャクチャな・いい加減すぎる方式であるはずだが……
しかし、もし相撲が体重階級制を導入すれば、たぶんハッキリと人気は下落するだろう。
大衆は、そんなメンドクサイ(そして人為的な)細かい区分を、公平だから面白いなどと感じないものである。(ちなみにプロレスも、ヘビー級とジュニアヘビー級の2区分しかない。
そしてまた、ヘビー級とジュニアヘビー級が戦わないということもない。
むろん、厳密な体重階級制など導入するわけがない。
そんなことしたら人気がダダ下がりするのは目に見えているからだ。)
そして、こんなことは言いたくないのだが……
ボクサーの過酷な減量というのを、「そんなにしてまで有利になりたいのか」という目で見ている大衆というのも、決して少なくはないと思われる。 よって、もし、減量なんて全然せずに適正体重の階級で勝ち進むボクサーがいるとすれば……
その人こそは大衆に広範な人気を獲得するのではないか、とも思われるのである。
- 関連記事
-
スポンサーサイト
- http://tairanaritoshi.blog.fc2.com/tb.php/430-52dbbc11
トラックバック
コメントの投稿