先日の長州力プロデュース興行で、長州力は伊橋剛太を全否定した。
(⇒ 2018年1月14日記事:長州力P興行短感-「伊橋剛太、オマエはダメだプロレスをやろうと思わない方がいい」) そして1月16日、DDTの会見に伊橋剛太が沈痛な面持ちで出席し、試合を欠場したい・今後のプロレス活動も考えたいと述べた。
これに対して
大家健は伊橋にシングル対戦を要求した上、長州を呼び捨ての上「オマエ」呼ばわりしてキレ返した。(⇒ abema格闘TIMES 2018年1月17日記事:長州力へ怒りをぶちまける!「人ひとりの人生かかってんだ」 大家健、男気を見せた“キレ返し”) こういう展開を見ていると、
やっぱり長州の伊橋に対するマジギレというのは“プロレス”なのではないか、とプロレスファンなら嫌でも思うはずである。
たとえ長州のマジギレが本当のことだったとして、少なくともその後の展開はそれに乗っかったアドリブストーリーなのではないか、と思うのが普通というものだ。
だいたい、長州が伊橋のふがいなさに本当にキレたというのが、すでに信じられない話ではないか……
長州は本件興行のコンセプトとして、
「プロレスラーではなく、“プロ”の“レスラー”としてリングに上がってほしい」
「レスラーとして、やるべきことをやっている人だけを上げたい」
と言っていたはずである。
その興行に伊橋剛太が配されるのだから、いったい長州のコンセプトとは何なのか疑問に思うのが当たり前だ。
(この疑問を善意に解せば、「長州の謎かけ」とも言えただろうが。) もしかして長州、伊橋剛太というレスラーがどんなものなのか、当日まで全く知らなかったのだろうか。
ネットで試合映像を見ることもなく、写真さえ見ることがなかったのだろうか。
新日本の現場監督まで務めた人間が、他ならぬ自分自身が出場する興行のメインイベントに配するレスラーについて何一つリサーチしなかったなんて、どうして信じられるだろう。
これではまるで、「現物を見ることなく不動産を買う」ようなもので、全くあり得ないことのように思える。 長州はしばしば「昭和のプロレスラーの代表格」の一人とされているが、さすがに昭和のバブル時代でさえも「現物を見ずに不動産を買う」人はいなかったはずだ――
もしいたら、正真正銘の愚か者としか言いようがない。
伊橋剛太が、長州自らの提唱するプロレスコンセプトから最も遠いところにいるプロレスラーだというのは、写真を見ただけでわかるはずである。
それこそ幼稚園児だってわかるはずである。
なのに本気でキレたというなら、「これは長州の“キレ芸”ではないか」と勘ぐるのがまともなプロレスファンというものである。 さて、ところで――
WEDGE infinityというサイトに、あのキラー・カーンのインタビュー記事が2本掲載されている。
キラー・カーンは30年も昔に引退したにもかかわらず、いまだ“有名レスラー”の一人だという驚異的と言えば驚異的なレスラーなのだが……
その
アントニオ猪木・坂口征二・新間寿、及びジャンボ鶴田や長州力に対する人物評というのが、まぁクソミソのボロカスである。
(⇒ WEDGE infinity 2018年1月15日記事:猪木さん、坂口さんを上司なんて思えないよ)(⇒ WEDGE infinity 2018年1月16日記事:あいつはプロレスラーの強さって何なのかをわかっていない) キラー・カーンのインタビューに限らず、プロレスラーのインタビューというのは本当に示唆に富むものである。
たとえば坂口征二など、前田日明からも相当嫌われているのは周知の事実。
あの有名な前田日明vsアンドレ・ザ・ジャイアントの津市体育館シュートマッチ事件は、前田の解釈によれば黒幕は坂口征二である。
しかしその坂口も、あの“猪木舌出し失神事件”では、「人間不信」という書き置きを机に置いて会社から失踪したことで名高い。(つまり、猪木に裏切られたと深く思ったのだ。)
そして当の前田と言えば、プロレス史上最も毀誉褒貶の別れる――カリスマなのか嫌われ者なのか判断の付かない評価をされているのも周知のとおり。 プロレスラーの人間関係や「互いにどう思っているか・思われているか」というのは、つくづく複雑怪奇に絡み合っている。
しかしこれは、何もプロレスラー・プロレス界に限った話でないのは言うまでもない。
それはプロレス外の一般社会、我々一人一人についても完璧に同じことが言える。
なにせキラー・カーンにとってみれば、長州力やジャンボ鶴田でさえ「人としてもレスラーとしても三流」なのだ。
あなたや私がどこかの誰かにどんな風に思われているか、わかったものではないだろう。 たぶん、プロレスラーのインタビューやプロレス本を読むことは――
「人間の多面的な見方・見られ方」というものを学ぶのに最適の方法である。 はっきり言って、
プロレスも見ないのに(知りもしないのに)「ビジネスパーソンでござい」と思っている人というのは、心底哀れではないだろうか。
ビジネスマンが相撲や野球やサッカーやフィギュアスケートをいくら見たって、ビジネス的に学べるものはおそらく何もない。
しかし、プロレスだけは違う。
プロレスを見ていると、ビジネスや人間関係――大きく言えば「人間学」というものを、それこそ嫌でも学べる気がする。
これは、けっこうな数のプロレスファンがそう感じているところだと思う。
それにしても、あの「棚橋の珍しい激発」の時と言い――
(⇒ 2015年8月記事アーカイブ) この手の事件を引き起こすのが必ず「DDTという団体orその選手」だというのは、非常に興味深いところである。
これはやはり、DDTには「問題提起力」があるということなのだろう。 そしてそれこそがDDTを、「新日本への最有力対抗勢力」にしている原動力なのだろう。
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