
2015.5.2 メイウェザーvsパッキャオ ボクシング界「世紀の一戦」、メイウェザーvsパッキャオが終わった。(現地時間5月2日、日本時間5月3日)
結果は、メイウェザーの判定勝ち。
目を引くのはやはり、試合内容でも結果でもなく、その経済価値の面だろう。
戦前の予想では、
興業総収入はボクシング史上最高の4億ドル(約476億円)、両者のファイトマネーは240億円とも330億円とも言われていた。
なんとも桁外れの金額、想像を絶するような話である。
そして私は、誰もが感じるだろうことをやはり感じずにいられない。
それは、
こんな殴り合いごときにそんな価値があるのだろうかという疑問である。
そしてまた
、「バブル」という言葉が否応なく思い浮かぶ。 戦国期の日本で、茶器が異常に珍重されたことはよく知られている。
フィリピン製の「呂宋壺(ルソンつぼ)」(当時はスペイン領フィリピンのことをルソンと言った)などは、現地では日常用品だったのに日本では途方もない値段が付けられたことも有名である。

呂宋壺の例 一例を挙げると、博多の豪商・神谷宗湛(かみや そうたん。1551-1635)は、「唐物茶入博多文琳(からもの ちゃいれ はかた ぶんりん)」という茶器を所有していた。(福岡県柳川市の立花家史料館に現存する)
豊臣秀吉が欲しがったのだが、「日本の半分となら交換しましょう」と切り返して諦めさせた逸話がある「名物」である。

唐物茶入博多文琳(立花家史料館蔵) これは後の寛永時代(1624-1645)、福岡藩を領した黒田家に買い上げられた。
その時の値段は、立花家史料館の解説によると「金2,000両+500石」だったらしい。
江戸時代の物価を今の値段に換算してくれるサイト「江戸時代の貨幣価値と物価表」(京都故実研究会 http://www.teiocollection.com/kakaku.htm)を参照すると、
江戸初期の1両は今の10万円。
江戸初期の米1升(1.8リットル)は今の1,650円。
よって1石=100升=165,000円となる。(ちなみに1石は、成人1人の1年間の米消費量とされる。)
つまり唐物茶入博多文琳の値段は、
(10万円×2,000)+(165,000円×500)
= 200,000,000円+82,500,000円
=
2億8,250万円 である。
日本の半分には全然及ばないし、秀吉が買えない値段ではないはずだが、それでも高価は高価である。
さて我々は、「開運!何でも鑑定団」のせいか、こういうものに高い値が付くことに慣れている。
こんな値段が付いていても別に不思議には思わない。むしろ「すごい価値があるんだ」と感心する。
しかし、虚心坦懐に考えてみよう。
あなたはこの茶器に、3億円近い価値が本当にあると思うだろうか。
もし何も知らなければ、3万円でも買わないのではないか。
私はこの茶器もそうだが、フィリピン製のたかが壺なんかにたいした価値は感じない。
こんなのに何億円もの価値が付くのは異常なこと、狂ったバブルに他ならないと思っている。
つまり、茶器バブル現象である。 もう一つ思い出すのは、
17世紀オランダで起こった「チューリップ・バブル」(1634-1637)のことだ。
(偶然だが、ちょうど日本の寛永年間である)
突如チューリップが非常な価値を認められ、その球根一つが豪邸と交換されるまでになった。
一輪の花・一個の球根が、何千万円・何億円の価値を持つ―― もちろんこれを、正常な値段と見なす人はいまい。
「そんなバカな」「おかしいんじゃないの?」「何でそうなるの?」と誰しも思う。
茶器はまだしも、チューリップの球根ごときがそんな価値を持つ(と、みんなに思われる)というのは、全く理解不能だろう。
みんな熱に浮かされてバカになってたと感じるのが、当たり前の感じ方だろう。
メイウェザーvsパッキャオ戦も、これと同類だと私は思う。 それは二十一世紀初頭に世界規模で起こったバブル――正真正銘の「ボクシング・バブル」だと思う。 バブル経済の定義は難しいのだろうが、簡単に言うと
「ある物事が、実体以上にはるかに高く評価され取引される」ということになろう。
メイウェザーvsパッキャオ戦がこれに当てはまらないなどと、私にはどうしても思えない。
そしてまたバブルとは、何もボクシング界でだけ起こっているのではない。
それはスポーツ界全体で起こっている。と言うよりスポーツ界そのものがバブルなのだ。 現代は、「スポーツ・バブル」の時代である。
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