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桜庭和志、UFC殿堂入り-「史上最高の総合格闘家」はプロレスラー

 日本時間7月7日、アメリカはラスベガスで「UFCホ-ル・オブ・フェイム(栄誉の殿堂)」が開催された。

 そこで殿堂入りしたのが、MMA界唯一無二の日本人スーパースター・桜庭和志。

 桜庭はドン・フライをプレゼンテーターとして、黒の紋付き袴&サクマシーン・マスクをかぶって入場。


 その全文は『Dropkickチャンネル』で、映像はUFC日本版公式サイトで見れる。

(ただし、UFC公式サイトは「スピーチ全編動画」と銘打っているが、途中で切れている。

 こういう「看板に偽りあり」はやめてほしいものだ。)


http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1295031

http://jp.ufc.com/news/4640


 これは一言で言って、感動的なスピーチである。特にプロレスファンにとってである。

 桜庭がMMAの式典でここまで「プロレス」との言葉を用い、自分はプロレスラーだとハッキリ断言するというのは、あまり予想した人はいなかったと思う。


(その上、ケガで療養中の高山善廣のことにまで言及している。)

 ここまで言うなら「Uインター」の言葉も出してほしかったとも思うが、それは高望みというものだろう。

 そう、イントロ映像では「元プロレスラー」と紹介されていようと、桜庭自身は「僕はアスリートでありプロレスラー」だと言い切っているのだ。

 そういう人が(同じくイントロ映像で)「史上最高の総合格闘家」と称されているのだから、プロレスファンにとってこれほど嬉しいことがあるだろうか。



 なお、桜庭はあくまでPRIDEのスーパースターであり、UFCと絡んだ(そのオクタゴンに上がった)のは1997年12月21日・横浜アリーナでの「UFC Japan」大会の1回きり。

 そこでマーカス・コナンを破って優勝し、以後スターダムを駆け上がることとなった。

(なおこのトーナメント大会について、マーカス・コナン本人は次のように「真相」を語っている。)

(⇒ Queel2017年7月7日記事:UFC殿堂入りを果たした桜庭和志がUFCトーナメントで優勝したときの舞台裏を、対戦相手のマーカス・コナンが語る)


 UFCはPRIDEを買収(2007年)しているので、一応桜庭を自分たちの殿堂入りにさせる理由は立つのだが――

 しかし本来自分たちとは関係ない/縁の薄いはずの選手を殿堂入りにさせるというのは、力道山やアントニオ猪木や藤波辰爾を殿堂入りさせてきたWWEと全く同じ“戦略”である。

(どちらかと言えば、UFCがWWEを真似たと言える。)

 そうすることでWWEもUFCも、世界プロレス界や世界MMA界の正当・正統王朝であることをアピールしようとしているのだ。

(昔の朝廷が、実力者に官位を贈るようなものだろう。)



 とはいえ桜庭に限っては、「この人を殿堂入りさせなくて、何の殿堂か」というほどの人物である。

 特にあの2000年5月1日、東京ドームで行われた「PRIDE GP 2000」準々決勝第2試合――

 桜庭和志vsホイス・グレイシー戦は、何とMMAで90分も戦って勝利するという、空前絶後・再現不能の伝説的な試合だった。

 しかもただ長いばかりではなく、「猪木・アリ状態」「胴着脱がせ」「恥ずかし固め」「モンゴリアンチョップ」などというファイティング・エンターテイメントそのものの展開で観客を沸かせ、最後は相手方のタオル投入で終わるという劇的な幕切れ。

 これはつい先日の、「オカダ・カズチカvsケニー・オメガ」の60分ドローの激闘をさらに(はるかに?)上回るインパクトがある。

 実際ああいうMMAの試合を見れば、プロレスの試合が色褪せて見える――

 だからプロレスから総合格闘技に鞍替えした、というファンが多数いても仕方ないような試合だった。

 そしてそれをやったのが、プロレスラーだという皮肉……


 総合格闘技初期の歴史というのは、たぶんこれから先もずっと人の興味を惹きつけていくことだろうと思う。


 なお、桜庭のスピーチで最も印象的だったのは、あの木村政彦に言及した一節である。


「木村先生は偉大な柔道家であると同時に、日本のプロレスラーの先駆者でもあります。柔術、グレイシー、プロレス、MMA、あらためて歴史は繋がってると感じました。」


 木村政彦と言えば『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也)で近年再び脚光を浴びる“柔道の鬼”である。

 木村は力道山とのシングルマッチに臨み、「引き分けにすると話が付いていたのに、力道山が裏切ってボコボコにされた」とされている。(1954年12月22日・蔵前国技館)

 私があの本を読んで一番引っかかったのは、「木村政彦って、そのときはプロレスラーじゃないのか」ということだった。

 しかも木村はただのプロレスラーどころか、自分がプロレス団体のトップだった時期もあるのだ。(熊本の『国際プロレス団』)


 木村政彦vs力道山は、「柔道vs相撲」の対決ではなく、あくまで「柔道がバックボーンのプロレスラーvs相撲がバックボーンのプロレスラー」だったはずである。

 その点を桜庭は、“日本のプロレスラーの先駆者”と表現している。

 まさにその通りで、木村政彦は日本プロレス界黎明期を力道山らとともに活躍したプロレスラーだった。

 そしてまた桜庭は、プロレスとMMAが「繋がっている」という日本的MMA史観をやっぱり持っている(だろう)こともわかる。

 いくら現代のMMAファン・MMA選手が否定しようと不快に思おうと、それは日本においては確かに史実ではないだろうか?

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プロフィール

平 成敏

Author:平 成敏
1970年代生まれの男性。
認定ファシリティマネジャー、主に施設管理の仕事に従事。
プロレス、社会、歴史など、興味関心のある分野についてあまり脈絡にこだわらず書いていきます。(⇒プロレス以外の話題については、別ブログ【社会・ニュース・歴史編】をご覧ください。)

著作一覧(アマゾンkindle版)

ペペチール第三王朝の興亡:表紙 世界系統樹:表紙 尊敬なき社会(上):表紙 尊敬なき社会(下):表紙

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