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プロレスと「差別」その11 カミングアウト論Ⅱ-それでもプロレスの近未来は明るい

 日本のドラマではまず冒頭に、「この作品は実在の人物・団体などと一切関係ありません」と表示するのが慣例となっている。
 しかしWWEの番組では(もちろん現地に来ている観客にもだろう)、そういう表示は一切なされない。 また、WWEの番組では「絶対に選手のマネをするな」とのWWE自身のコマーシャルが挟まれているが、そこでも「選手同士は協力して演技するプロである。決して素人同士がマネするな」などとは言っていない。

 本当にカミングアウトしていると言うなら、「今から行われる試合は本当の勝敗争いとは一切関係ありません」とか毎回大型ビジョンにでも表示すべきではないだろうか?

 WWEは自社の所属選手を「タレント」「パフォーマー」「WWEスーパースター」と呼び(本当にこう呼んでいる)、「プロレスラー」とすら呼ばない。
 自団体をプロレス団体とも呼んでいない。
 しかし、やっていることはプロレスそのものであり、選手は明らかにプロレスラーである。

 結局、WWEさえもそこまでのカミングアウトはやっていないということだ。
 「我々のやっていることはショーなのです」とはポーズであり、実際の試合はあくまで「真剣勝負」として扱う。

 その理由は日本と同じ――つまり、これはショーだと言ってしまえば観客はまともに見なくなるからである。興を削ぐことにしかならないからである。


 興味深いことに、プロレスファンにはプロレスがショーだとわかっていて(思っていて)ファンである人が多い。多いと言うより大多数と言ってよい。
 しかしそうでありながら、カミングアウト論に賛成する人が大多数かと言えばそうでもない。
 むしろ彼らは反対するだろう。そんな野暮なことをするな、そんなことをしたらファンでいられなくなる、とまで思うかもしれない。
 これもまたプロレスファンが、世間から「変わった人」と思われやすい理由ではあろう。


 おそらくプロレスは、どこまで行ってもそれが「本当に勝敗を争っている」と主張することを免れない。
 プロレスファンも、それが嘘だと思っていても、「本当に勝敗を争っている」仮定から離れることを望んでいない。

 これは、世間に理解され、広く親しまれることを目指すジャンルにとって、非常に重いハンディと言わねばならない。

 世間は必ずしも「劇」を蔑視するわけではないが、「劇でありながら劇でないと主張する/装う」ことは蔑視するからである。
 そんなのは悪いことであり、まともな人間がまともに向き合うのは恥ずかしいことだと思うからである。


 さて、これまで長々と、プロレスが世間から低く見られる原因を述べてきた。
 人によっては、これではプロレスに明るい未来は見えませんと思うかもしれない。(実際、多くのプロレス本の著者がそういうことを書いている)
 また、こんなことを書いている私は、本当はプロレスが嫌いなんじゃないかと思うかもしれない。

 しかしむろん、私はプロレスが好きであるし、プロレスには明るい未来があると思っている。
 
 そう、私はプロレスの近未来に対して楽観的である。(それより先の未来については、他のあらゆることと同じく何の確信も持てないが)
 プロレスは再びメジャーな存在となり得るし、全国ネットの地上波テレビのゴールデンタイム復帰も夢ではないと思っている。

 それは、世間の雰囲気がプロレスに有利になりつつあると感じるからである。
 次回から、これについて述べることにする。

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プロフィール

平 成敏

Author:平 成敏
1970年代生まれの男性。
認定ファシリティマネジャー、主に施設管理の仕事に従事。
プロレス、社会、歴史など、興味関心のある分野についてあまり脈絡にこだわらず書いていきます。(⇒プロレス以外の話題については、別ブログ【社会・ニュース・歴史編】をご覧ください。)

著作一覧(アマゾンkindle版)

ペペチール第三王朝の興亡:表紙 世界系統樹:表紙 尊敬なき社会(上):表紙 尊敬なき社会(下):表紙

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