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「空振りラリアット」問題について

「なぜプロレスラーはロープに振られると自分から走っていくのか」、

「なぜプロレスラーはロープにぶつかると走って返っていくのか」――

 これは、古来からプロレスに対する最もありふれた疑問であり批判である。


 しかし私には、こんなことよりはるかに疑問に思うことがある。

 それに比べれば「ロープに振られて返ってくる」ことなど、全く気にならないと言っていいほどだ。


 それは何かと言うならば――

『なぜラリアットを相手に当てることを狙っているはずのレスラーは、相手の頭よりずっと高い軌道に自分の腕をセッティングして振りかぶるのか』

 という疑問である。


 これについては、いちいち参考画像を載せるまでもないだろう。

 それはプロレスファンであるあなたが腐るほど見てきているものであり、きっと今日も明日も明後日も見る。

 この「どう見ても当たるはずのない軌道のラリアット」が出てこない興行は、今の日本のプロレス界で一つもないように思える。

 それどころか、それを見ない試合(個々の、一つ一つの試合)さえ皆無のように感じてしまう。



 もしあなたがプロレスに全く関心のない/バカにしている人物に、プロレスを好きになってもらおうと一緒にプロレスの大会へ行ったとする。

 そこで最も説明に困るのは、ロープワークやその他諸々の疑問ではなく、まさにこれではなかろうか。

 この「その他諸々の疑問」の中には――

「なぜタッグマッチで相棒が“カット”するときとしないときがあるのか」(毎回カットすればいいではないか)、

「なぜ相手がダウンして寝たならば、追撃しないで(寝た相手を殴る蹴るしないで)わざわざムーンサルトなんか狙うのか」、
(本当に勝敗を争っているなら、もちろんそうすべきである。ホントの喧嘩でムーンサルトなんかするか?)

 というものもあるだろう。


 しかしアラ不思議、少なくとも会場でナマで見ている分には、こういうことにはなぜか違和感を感じないのである。

 たとえ疑問を感じたとしても、プロレスの試合はそれが当然であるかのように進んでいく。

 次から次へ新しい展開が繰り広げられるので、心理的にそれら疑問は忘れられ、どうでもいいことになってしまうのだろう。


(このあたり、現代世界の“ニュース社会化”と通じるところがあると思わないではいられない。

 非常に重要な意味を持つニュースがあったとしても、それは次から次へと出てくる最新ニュースに押し流されて消えてしまう。

 いつまでもそのニュースに食いついているのは“時代遅れ”と心理的に見なされるし、自分自身もそう感じる。

 多くの現代人にとって、重要ニュースとは最新ニュースのことなのである。)


 
 だが、「どう見ても意図的な空振りラリアット」は、あまりにも何度も出てくるシーンのため、そのつど思い出されてしまう疑問の一つだと思う。

 私は先日の記事

(⇒ 2016年4月17日記事:WWE、日本直接侵攻 その3 なぜ日本のプロレスは全国地上波ゴールデンタイム放送を獲得できないか)

 で、日本のプロレスが全国地上波ゴールデンタイム放送に復帰することはほぼ絶望的だろう、と書いた。

 しかし万一、それが実現したとしよう。

 そのとき私には、ツイッターのタイムラインが

「あんなラリアットの軌道で当たるわけないだろwww」

「やっぱプロレスはインチキだよなwww」

 といった書き込みで埋め尽くされるのが目に見えるようである。



 プロレスファンは何があってもプロレスを見捨てない、というのは相当程度に真実だろう。

 現にこういう「空振りラリアット」をいつもいつも見ているのに、それでもプロレスに嫌気が差してはいないし、プロレスを見ること自体を止めようともしていない。

 しかしそれはまた、プロレスが何でもない一般人の目に触れることがなくなった結果としての“進化”ではないかとも思える。

 あれを見た一般人は、ロープワークより何より先に、「やっぱりプロレスはインチキ・出来レース」と思わないではいられないはずだ。

 プロレスが「何でも許す純粋なファン」にしか見られなくなった結果、プロレスラーは「どんな見え見えのフェイクムーブでも平気で何度も見せるようになった」――

 そう評するのは、プロレスラーに厳しすぎるだろうか?


 もしもプロレスが本気で全国地上波ゴールデンタイム放送への復帰を目指し、

 本当にプロレスがメジャースポーツになることをプロレスラーもフロント陣も願っているとするならば、

 「空振りラリアット」のような動きは真っ先に排除されねばならない、と私はどうしても思う。


 あなたも試みに、「この選手は“空振りラリアット”を頻繁にやる選手か、全然やらない選手か」を基準にプロレスを見直してはどうだろう。

 私にそんな気力がないのは遺憾だが、統計でも取ってみればどうだろう。

 それはもしかしたら、当該選手の“プロ意識”を図る真の基準かもしれないのである。

(ただし、「プロレスは相手がいなくてはできない」=「相手選手や団体の望むムーブを繰り出さないわけにはいかない」という面があるとすれば、当該選手個人の思いを貫くのは非常に難しいと思われるが……)

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プロフィール

平 成敏

Author:平 成敏
1970年代生まれの男性。
認定ファシリティマネジャー、主に施設管理の仕事に従事。
プロレス、社会、歴史など、興味関心のある分野についてあまり脈絡にこだわらず書いていきます。(⇒プロレス以外の話題については、別ブログ【社会・ニュース・歴史編】をご覧ください。)

著作一覧(アマゾンkindle版)

ペペチール第三王朝の興亡:表紙 世界系統樹:表紙 尊敬なき社会(上):表紙 尊敬なき社会(下):表紙

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