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プロレスと「差別」その8 漂白芸能としてのプロレス

 さて、芸人の中でも特に低く見られてきたのが「漂白の芸能民」である。
 彼らを「下の人間」と見なすのは、これまた日本に限った話ではない。最も知られているのはヨーロッパのジプシー(ロマ族)だろう。
 日本で言えば、門付(かどつけ)芸人・声聞師(しょうもじ)・白拍子(しらびょうし)・傀儡子(くぐつし/かいらいし)などと呼ばれた人々である。
 現代でも通じる言葉で一括すれば、それは「大道芸人」となろう。学問風に言えば「漂白芸能民」となろう。

 彼らは定住せず村々を移り巡って生計を立てていた。
 門付芸人は縁起物の芸をして村人を楽しませたり、幸福を祈ったりして報酬を得ていた。
 そういう人たちを差別する、というのは現代人には理解しがたいことかもしれない。
 しかし現代人でも、エロビデオが好きで「お世話」になっていながらそれでもなおAV女優を低く見る、というのはありふれた心性である。
 そう考えると昔の人の心性も理解しうるものとなる。 


 ここで気づかずにいられないのは、地方巡業のプロレス興業が極めて漂白芸能民的であることだ。
 実際私は、プロレスとは現代日本に残る最大規模の漂白芸能だと思っている。


 かつては巡回サーカスというものがあった。(私は一度も見たことはないが)
 そして今でも、全国の温泉旅館などを巡って演劇を行なう人々はいる。
 しかし彼らはあまりにも規模が小さく、とても適切な代表例とは言えない。
 プロレスは、今はもうなくなった大道芸や移動サーカス団といった漂白芸能の現代版であり、いまなお活発な唯一の例と言っていいかもしれない。

 もちろん地方巡業を行うのはプロレスだけではない。
 大相撲だってやっているし、歌手やバンドのツアーもそうだと言えば言える。
 しかし彼らは漂泊民ではなく、ちゃんと定住地を持っている。それが地上波テレビである。
 もしテレビという定住地を持っていないとすれば、彼らは「ドサ回り」と呼ばれ「下」に見られる。


 もし大相撲にテレビ中継がなく、首都に大規模な常設会場(今は両国国技館である)を持っておらず、プロレス並みに地方巡業の比率が高かったとしたら、力士の社会的地位が相当程度下落することは確実と思う。

 何も知らない外国人などから見れば、相撲力士のあの体型は、昔のサーカス団が揃えていたフリークス(異形の者)に違いなかろう。
 相撲力士の対戦は、そのフリークス同士を戦わせて金を取る見世物にしか見えないだろう。
 本当は、プロレスラーが筋肉芸人でありプロレスの試合がショーで見世物であるというなら――とりわけ大仁田厚の電流爆破マッチがそうだというなら――、相撲だってそうなのである。

 しかし大相撲は定着性を高めることで、地方巡業をたまにしか行なわなくて済むことで、ドサ回りのイメージを払拭できている。
 歌舞伎や宝塚歌劇は確かに地上波テレビ放映されるわけではないが、メディアがそれを一種権威あるエンタメとして扱うことと常打ち会場の完備により、やはり定着性を確保している。もしこれらが巡業で成り立っているならば、やはり人々はそれを低く見ていたことだろう。
 
 思えば昔の貴族だって「地方巡業」していたことはある。
 室町後期~戦国期の中央貴族が地方に下向し、蹴鞠(けまり)や和歌を教えて収入にしていたのはよく知られている。
 しかし彼らが相手にするのは地方の大名・貴族といったハイソな連中であり、庶民ではなかった。
 そしてまた、京の都という本貫地(ほんがんち)を持ってもいた。
 地方巡業は本業でなく余技、地方住民への「お恵み」的な意識もあったろう。
 おそらく、現代の売れっ子歌手や大相撲力士はそのカテゴリーに入っている。
 しかしプロレスラーは依然、旅芸人一座のカテゴリーから抜け出せていない。
 
 これは日本人に限った話ではないかもしれないが、人々の中央志向は非常に根強い。
 人は全国テレビに出ている人を、ローカルテレビに出ている人より「格上」に思う。
 地元の人間より中央の人間に「権威」を感じる。

 これはみちのくプロレス創設時にグレートサスケが痛感し、悔しい思いをしたことでもあるそうだ。


 では、プロレスは端的に地方巡業を止めるべきなのか。
 しかしそれができれば苦労はしない。
 プロレス界に団体がごくわずかなら、そして自団体がごく小規模でいいというなら、月に2回くらい東京でのみ大会を開けばやっていけるのかもしれない。
 だがそれは、現実としてできないのである。

 新日本が集客に苦しんでいる時も東京ドーム大会(イッテンヨン)を止めなかったのは、結果的に英断だった。
 それは年に一度の「常打ち会場」として機能し、深夜30分とはいえ地上波テレビ放送を持っているのと合わせ、新日本の定着性・中央性を保つことに大いに貢献していると思う。


 その新日本でさえ、東京に大会を限定して(不採算がどうしても生じる)地方興行を全廃するという決断はしないだろう。
 それにはいろいろ理由はあるが、結局は東京だけでは集客が干上がってしまうからである。地方のファンを繋ぎ止め、開拓しなければ、団体の維持拡大が見込めないからである。

 近年のNOAHは日本武道館から撤退し、地方興行もごく小規模な会場を使うようになった。収容人数200人台の新木場1stリングにも「進出」している。
 これは業績の悪化した企業として当然のダウンサイジング(縮小・節約化)ではあるのだが、やはり大事な定着性・中央性を失ったことは否めない。

 そしてなぜ組織が維持拡大を目指さなくてはならないのか、小規模化してもいいし却って利益率が上がるのではないかとの疑問は、あなたの職場の社長にでも聞いてみた方がいい。
 なぜ社長はあなたたちを解雇し、小規模化を図らないのか――つまり、そういうことなのである。

 今現在すでに充分小規模な団体を除き、そしていよいよやむを得ない状況に至らない限り、プロレスが自ら地方巡業を捨てることはありそうにない。
 それは必然的に、移動サーカス団・ドサ回りの劇団・漂白芸能民的性格を捨てられないことに繋がる。
 そしてそういう存在を低く見る世の雰囲気は、いまだ根強く残るのである。

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プロフィール

平 成敏

Author:平 成敏
1970年代生まれの男性。
認定ファシリティマネジャー、主に施設管理の仕事に従事。
プロレス、社会、歴史など、興味関心のある分野についてあまり脈絡にこだわらず書いていきます。(⇒プロレス以外の話題については、別ブログ【社会・ニュース・歴史編】をご覧ください。)

著作一覧(アマゾンkindle版)

ペペチール第三王朝の興亡:表紙 世界系統樹:表紙 尊敬なき社会(上):表紙 尊敬なき社会(下):表紙

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