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プロレスと「差別」その4 ミゼットプロレスについて少し

 「小人プロレス」は「ミゼットプロレス」とも呼ばれる。
 外来語を取り入れること自体と同様、下品だったり差し障りがあったりすると思われる言葉を外来語に置き換えてクリアする、というのは日本のお家芸である。(便所をトイレと呼ぶのが代表例)

 それはいいとして、小人プロレスは日本においていまや絶滅寸前のジャンルとなっている。
 現役で残っているのはたった二人、ミスター・ブッタマンとプリティ太田しかいない。

ミスター・ブッタマン(上) プリティ太田(下)ミスター・ブッタマン(上)、プリティ太田(下)


 かつては女子プロレス(全日本女子プロレス)の興業でたびたび試合が組まれていた時代もあったのだが、おそらく彼らのリタイアとともに日本から完全に消えてなくなるだろう。
 (外国では――特にメキシコでは――まだ当分生き残っていけそうらしいが)

 こういう事態を招いた大きな一因は、もちろん世間の雰囲気にある。
 低身長症である障害者を見世物にしてはならない、したら叩くという雰囲気である。

 言うまでもなく小人プロレスの選手たちは、無理矢理レスラーにされたのではない。
 「俺たちは笑われてるんじゃない、笑わせてるんだ」
 「障害者への配慮とか言って、俺らの仕事を奪うな」
とは彼らの言である。

 しかし社会の雰囲気は、本人の意志すらも圧伏する。
 小人プロレスを非難する人は、そんなことを本人たちは思ってくれるな、思うのが間違っていると本当は言いたいだろう。
 雰囲気に合わない思想や考え、希望なんかは持つべきでないと、(認めはしないが)思っていることになるだろう。

 小人プロレスはこうした社会の雰囲気に潰されたと言うべきかもしれない。
 障害者への逆方向からの「偏見」が、一つのジャンルを消滅させたと言えるかもしれない。

 ただし公平を保つために言うと、これは単なる「流行り・廃り」の一例であるとも考えられる。
 正直言って、仮に何の偏見も持たれなかったと仮定しても、本当に今も未来も小人プロレスが生き残る可能性があったかどうかは疑わしい。

 小人プロレスはその最盛期でさえ単独で興業を打てていたわけではなかった。「通常プロレス」の付属で一試合組まれる程度だった。
 何もなくてもその需要が減退していった可能性は多分にある。
 ましてプロレス自体の世間的人気が衰退した今、その復活を待ち望む声が強くあるとはあまり思えない。
 (もちろん、プロレスファンも社会の雰囲気の中にいるのだ)

 なお、小人プロレスについては専門的な本があるので、詳しくはそちらを参照してほしい。
 (amazonで検索しても3冊しか出てこない、しかも一人の著者によるものだという点が、このジャンルの小ささを表しているようでもある)

 『笑撃! これが小人プロレスだ』(高部雨市 現代書館 2009)
 『君は小人プロレスを見たか』(高部雨市 幻冬舎アウトロー文庫 1999)
 『異端の笑国―小人プロレスの世界』(高部雨市 現代書館 1990)


 さて本題は、小人プロレスではなくプロレス一般のことである。

 プロレス自体が世間から低く見られているということ、これについて考えてみよう。

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プロフィール

平 成敏

Author:平 成敏
1970年代生まれの男性。
認定ファシリティマネジャー、主に施設管理の仕事に従事。
プロレス、社会、歴史など、興味関心のある分野についてあまり脈絡にこだわらず書いていきます。(⇒プロレス以外の話題については、別ブログ【社会・ニュース・歴史編】をご覧ください。)

著作一覧(アマゾンkindle版)

ペペチール第三王朝の興亡:表紙 世界系統樹:表紙 尊敬なき社会(上):表紙 尊敬なき社会(下):表紙

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