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夫婦別姓について その2 「家」意識どうしの衝突

 誰もが予感するように、いずれ最高裁も夫婦強制同姓を違憲と判決するだろう。

 その前に、法改正によって選択式夫婦別姓が実現することも大いにあり得る。

 夫婦強制同姓に賛成する人にとって未来は非常に暗いと言える。


 とはいえ、夫婦別姓派についても一言指摘すべきことはある。 

 彼ら彼女らの多くの部分は、

 夫婦強制同姓は封建的「家」意識の悪しき名残であり、(姓を変えざるを得ない)個人の尊厳と選択の自由を犯すものだ、アイデンティティの喪失感をもたらすものだ、

 と思っている(はず)なのだが――


 しかし「自分の姓を変えたくない」というのもまた、非常に強固な「家」意識の表れとしか言いようがない。

 自分の姓を変えたくないというのは、自分の出身の「家」から離れたくないということである。「家名」に誇りがあるということである。

 それが失われると、「家」から引き離される(ように感じる)と、自分個人のアイデンティティが喪失すると感じてしまう――

 これはまた何と「古い」家意識であり、それへの回帰だとは言えないだろうか?



 自分の姓は、むろん親や先祖から代々受け継がれてきたものである。

 下の名前は親が選択するのでどうにでもなるとしても、姓はほとんど変更の余地がない。(養子にしてもらう、とかいう手はある。)

 そして下の名前も姓(名字)も、自分という個人自身が選んだものでは絶対にない。

 そうやって選択の余地なくたまたま与えられたものに、誇りや愛着を抱く。

 これは何やら、宗教心や愛国心に極めて似ている。


 たまたまキリスト教家庭に生まれたから強固なキリスト教徒になる。たまたま日本に生まれたから日本への愛国心を持つ。そういう現象を世の中は尊重すべきだ――

 これらは、運動として夫婦別姓をやっている人たちからすれば、たぶん信条に反する類似性だろう。  

 自分たちの言っていること感じていることは、それらとは別物だと言いたくなるだろう。

 しかしもちろん、全然別物ではないのである。


 夫婦強制同姓派と夫婦選択別姓派の対立は、21世紀の日本における「家」意識2種の衝突と言える。


 そして夫婦別姓運動の次に出てくるべき運動は、「氏名を自由に変えられるようにする運動」だろう。

 これが実現してこそ、人間は完全に「家」意識から脱却できる。真に自分で自分の呼び名を決めることになる。

 それでこそ初めて、自分の氏名に誇りや愛着を持つことが(人間の自由独立の観点から)正当化されるはずである。



 さて、ところで、私が夫婦別姓に賛成する最大の理由は――

 実は、性的効用とか選択の自由とか個人のアイデンティティ喪失防止といったところにあるのではない。

 一番大事に思えるのは、「希少な姓の保護」という視点である。

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プロフィール

平 成敏

Author:平 成敏
1970年代生まれの男性。
認定ファシリティマネジャー、主に施設管理の仕事に従事。
プロレス、社会、歴史など、興味関心のある分野についてあまり脈絡にこだわらず書いていきます。(⇒プロレス以外の話題については、別ブログ【社会・ニュース・歴史編】をご覧ください。)

著作一覧(アマゾンkindle版)

ペペチール第三王朝の興亡:表紙 世界系統樹:表紙 尊敬なき社会(上):表紙 尊敬なき社会(下):表紙

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