Entries

原節子の死と力道山、長寿者に寄せる感慨

 「昭和の大女優」原節子が亡くなった――のがわかった。(享年95歳)

 9月5日に神奈川県の病院で死亡、それが2ヶ月半後の11月25日になって報じられたのである。

 死の数日後にニュース速報で報じられないのは、元・大女優としては少し寂しい最後にも思える。

 しかし1963年の女優業引退以来、表舞台には一切姿を現さなかったというのだから、もとより自身の死が広く報じられることなど全く望んでいなかっただろう。


 さて、原節子は昭和の大女優だと言われる。

 ただしその活動期間は1963年(昭和38年)で終わっており、もとより私が生まれるはるか前。

 この訃報を聞いた大部分の人と同じように、私にとっての彼女は「かろうじて名前だけは知っている有名人」である。

 むろん彼女への追憶などもあろうはずがない。


 しかし、この記事を書こうという動機になったのは――

 これまたこの訃報を聞いた大部分の人が感じたに違いないが、「この人、まだ生きてたのか」という驚きと感慨である。

(失礼な言い方ではあるが、素に感じることである。)



 原節子とは、大昔の歴史上の人物である。

 1935年(昭和10年)に14歳で銀幕デビュー、1949年『青い山脈』はその主題歌とともに有名、1953年『東京物語』(小津安二郎 監督)がその出演代表作とされる。

 最後の出演作は、1962年『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』。


 そしてウィキペディアには――

「1963年12月12日、小津監督が東京医科歯科大学附属病院で没し(その日は小津監督の還暦の誕生日だった)、その通夜に出席したのを最後に原は女優業を事実上引退し、以降表舞台には一切姿を見せなくなった。」と書いてある。

 43歳での引退であった。



 歴史系プロレスファンはハッとしたことだろうが、力道山の死去は、そのすぐ後の12月15日である。(享年39歳。原節子より年下)

(※ついでに言えば、その1ヶ月未満前の11月22日にはアメリカのケネディ大統領が暗殺されている。

  力道山の死はケネディ暗殺の翌月である、というのは憶えやすいとともに、やはり感慨を抱かせる。)



 
 原節子は1963年に43歳で女優業を引退し、半世紀超が経過した今年2015年に死去。

 それはつまり、あの力道山が今年死去したようなものである。

 もし力道山がヤクザに刺されても重傷を負うに留まり、プロレスは引退しても生命は長らえたとすれば、その可能性があったということである。
 

 我々が歴史上の、遠い昔の存在だと思っていた人物が、実は我々と同じ年月を過ごしていた――

 原節子の死去は、そんな感慨を改めて催させることになった。

このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーサイト
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://tairanaritoshi.blog.fc2.com/tb.php/201-28d105b5

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

平 成敏

Author:平 成敏
1970年代生まれの男性。
認定ファシリティマネジャー、主に施設管理の仕事に従事。
プロレス、社会、歴史など、興味関心のある分野についてあまり脈絡にこだわらず書いていきます。(⇒プロレス以外の話題については、別ブログ【社会・ニュース・歴史編】をご覧ください。)

著作一覧(アマゾンkindle版)

ペペチール第三王朝の興亡:表紙 世界系統樹:表紙 尊敬なき社会(上):表紙 尊敬なき社会(下):表紙

FC2ランキング

FC2オンラインカウンター

現在の閲覧者数:

FC2アクセスカウンター

日本ブログ村・人気ブログランキング アクセスランキング

ツイッターウィジェット

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR