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元号と単位、選手コール時の「パウンド」 その5

 もっとも元号の廃止によって、天皇家の権威というものがダメージを受けるのは確かだろう。

 しかしそれも、自業自得だという気はする。

 明治維新以来、日本は欧化政策を進めてきた。天皇家はその先頭に立って/立たされてきた。

 礼服は洋服になり、皇后はともかく天皇が和服を着た姿を見ることはほとんどない。

 そういう姿は、代替わりの儀式の時だけではないかと思う。

(「あんな人形みたいな姿じゃ西洋人にバカにされる」と、宮中の女官の髪型・装束を洋装に改めさせたのは岩倉具視だったと言われる。)


 それは当時としては、唯一の正しい選択だったのかもしれない。

 そうしなければ日本は生き残れなかったのかもしれない。

 しかし服装も制度も思想も、欧米の文化を導入し合流を目指すというのは、結局は日本の土着文化や土着権威を棄てることに繋っていく。

 たとえ敗戦・占領や天皇の人間宣言がなかったとしても、いずれ天孫降臨神話と進化論・生物学は両立しなくなっていたに違いない。


(そして、昭和20年=1945年までの日本人がこの二つをどう考えていたのかは私にもよくわからない。

 こんな近過去のことでさえこの始末なのだ。)

 
 今でも皇族の子女が海外留学するのは、決まってイギリスなどヨーロッパの大学である。  

 アジアとの共生とか何とか言っても、決してアジアの大学に留学などしないのである。

 そりゃあ元号がなくなってもしょうがないというものだろう。




 遠い未来、本当に英語が世界共通語になって他の言語がほとんど消える日が来るかもしれない。

 その中には日本語も入っているかもしれない。

 未来予測は常に外れるものと決まっているが――

 しかし一つだけ確実に言えるのは、もしそうなったとしても、日本人の直系子孫でさえ日本語の消滅を本気で悲しみはしないだろうということである。

 それは今の我々が、弥生時代の話し言葉を聞いてもわからず、万葉仮名も読めなくなってしまった(それどころか江戸時代の草書体でさえ読めない)ことを、全然嘆かないのと同じことである。


 ヨーロッパ人の到来後、カリブ海の原住民は本当に消滅してしまったと言われる。

 彼らにも喜怒哀楽の歴史や文化はあったに違いないが、それらは永遠に失われてしまったのだが、だからといって我々は心から悲しんでいるわけではない。

 日本でそんなことに関心を持っている人は全人口の0.1%にも満たないだろう。

 日本人や日本語が絶滅した後も、それと同じことになろう。

 プロレスがこの世からなくなっても、やはり同じことである。

 今の我々がチョンマゲという日本文化がなくなったのを残念に思わないように――

 日本人も日本語もプロレスも何もかも、なくなってしまえば誰も嘆きはしないのである。



 これこそ悲しいことなのだろうが、しかし現実というものでもあろう。

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プロフィール

平 成敏

Author:平 成敏
1970年代生まれの男性。
認定ファシリティマネジャー、主に施設管理の仕事に従事。
プロレス、社会、歴史など、興味関心のある分野についてあまり脈絡にこだわらず書いていきます。(⇒プロレス以外の話題については、別ブログ【社会・ニュース・歴史編】をご覧ください。)

著作一覧(アマゾンkindle版)

ペペチール第三王朝の興亡:表紙 世界系統樹:表紙 尊敬なき社会(上):表紙 尊敬なき社会(下):表紙

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