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HARASHIMAから見た棚橋戦 その3

 もしかしたらこの試合の意義を理解し、「期待される姿」を実現しようとしたのは(それは「社命」でもあったのだろうか?)、HARASHIMAの方であったかもしれない。

 いや、あるいはHARASHIMAもまた、団体の期待・社命に易々と応じるレスラーではなかったのかもしれない。


 HARASHIMAは、どうでも最後には負けねばならない。

 しかし棚橋に引き立ててもらうのは嫌だ。

 それでも親善試合の形式を壊すわけにはいかない。

 むろん「シュート」を仕掛けるなど論外である。

 そんなことをしたら業界追放罪に当たるのであり、新日本とDDTの友好関係が壊れてしまう。迷惑がかかる。

 それならいっそ、業界トップクラスの選手と交わる経験を、せめて楽しんでやってみよう。そんなにガツガツする必要があるか。


 もしHARASHIMAがそういう心境だったとしても、我々は特に意外と思ったり憤りを感じたりするわけにはいかないのではないか。

 しかしさすがに試合後に、棚橋が自分の力量を貶めるような「怒り」コメントを発したとあっては、黙っていられるはずがない。

 それはHARASHIMAのプロレスラーとしての地位とイメージを壊し、商売あがったりになるからである。

 HARASHIMAは内心、「ああいう試合になったのはアンタのせいだろ。アンタが相手だったからだろ」と言いたいのではないだろうか? 


 そしてこれは、第三の見方というより私の勝手な印象なのだが――

 何かこの試合、振り返ってみれば、

 巨大強大な「神」と、死すべき(負けるべき)「人間」の闘いを思わせるものがある。

(奇しくも新日本・DDTの2団体所属である飯伏幸太は、棚橋を「神」と呼んでいる。)

 棚橋の怒りは業界を震わせ、ファンの関心を引き付ける。

 しかし私はどちらかというと、人間たるHARASHIMAの方がどんな反応を見せるか気にかかる。



 私は「棚橋vs中邑」のカードが神話的領域に入っているのではないか、と書いた。

(⇒2015年8月20日記事:2015・G1決勝戦 その3――棚橋VS中邑、もはや形而上学的対決?)


 そしてここでもまた、神vs人間という神話的カードが(思いもかけず)現出したように思うのである。 



 ――以上、あえてHARASHIMA側に立ってこの試合を考えてみた。

 HARASHIMAのプロレスラーとしての力量が、心構えが、本当に棚橋に比べて低いのか、私には何とも言いようがない。

 しかしDDT両国大会の目玉の一つであり親善試合のはずだったこの試合が、何とも思いもかけぬ形で波紋を呼んだものである。

 そうは言っても、これをきっかけに新日本とDDTが全面抗争に入るなどとは考えにくい。

 だが良好な関係を続けてきた両団体の間に、一本の溝が入ったのは確かに思える。

 一寸先はハプニング、というアントニオ猪木を表す言葉を思い出さずにいられない。



 仲の良い友人どうしだったのが、たった一言のせいで険悪な仲になる――

 これは世間でもよくあることだ。

 プロレスは社会の縮図、という使い古された言葉も思い起こされるというものである。


 我々は以後、ほんのしばらくの間かもしれないにしても、HARASHIMAを今までと同じ目で見ることは難しくなろう。

 棚橋とHARASHIMAが、まるで高橋奈七永と華名のような関係に――マジで対立し、決して交わろうとしない関係に――なってしまうのは、やっぱり悲しいことである。

 プロレス界ではこういうことは何でも「因縁」「遺恨」と呼ばれてしまうが、

 それによる彼らの再戦が組まれるかどうかもわからないが、

 これもまたプロレス界でよくあるように「なかったこと」にされてしまうのも惜しい気がする。

 ちょっと危険な香りと不安は漂うものの、やはり両者の再戦は見てみたいものである。


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コメント

[C29]

神と人との闘いならば主役は常に人であり、負ける運命ならばどう負けるかがHARASHIMAには問われたということでしょうか
1.4のオカダや昨年のG1柴田戦で棚橋が涙を流したのと比べると今回はあまりにも粛々と負けを受け入れてしまったように思えます。

自団体最大のビックマッチでエースが接待試合をすることをファンが望むわけがないということが暗黒時代にその役目をさんざん体験した棚橋の認識だったのでしょう。

棚橋の反ストロングスタイルは、対猪木などの新日本内の話であり、当人のプロレスに関する認識は新日的価値観がベースとなっており、ほかのインディー系の選手とはズレがあったように思われます。

プロと学生プロレスの違いは生活がかかっているだけという発言も、言い方を変えればプロレスに生活(人生)を賭けられるのがプロとも読み取れ、現状インディーの主流となっている副業レスラーはプロレスラーは学生プロレスと変わらないとも読み取れます。

DDTのレスラー及びファンのプロレスへの認識と棚橋の新日的価値観の差が今回の発言にでたのかなとコメントで長々の申し訳ありませんが書かせていただきました。

[C30] 謎の真意

 コメントありがとうございます。

 さて、もしいただいたコメントが棚橋の本心を表しているとしたら――

 これって、特にインディーの選手にとっては衝撃的なニュースですよね。(ファンにとってもですが)

 とどのつまり棚橋は、インディーなんてプロレスじゃない、副業レスラーなんか真のプロレスラーじゃない、と言っているわけですから。

(まるで、あの長州力の生き写しのように)

 しかもそれが、ひょっとしたら本当に本心かもしれないとすると……

(あの棚橋発言には、そう取られても無理はない色がありました。)

 しかし、なぜそんなことを公にカメラの前で言ってしまったのか。

 激情ゆえか、わざとなのか。

 この謎、数年後の「プロレス事件本」でも取り上げられそうな気がします。
  • 2015-08-31 00:41
  • 平 成敏
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  • 編集

[C31]

返信ありがとうございました。

記事をよんでからも色々と思いを巡らせていたのですが、神と人間という言葉からふと、かつての「このリングにひとり、神がいる」というマイクを思い出してしまいました。
そのときも神は「俺は怒っている」と言ってましたが(笑)

そのときに唯一神に従わず立ち向かった人間が今、神となっているんですね。

さて、今回は人間は神の問いかけに何と答えるべきなのでしょう?

[C32] 棚橋の猪木化?

 ありましたね、あの有名な「猪木御殿」――(笑)

 しかし真面目な話をすると、

「革命を本当に達成したら革命家は体制派になる。それが革命家の到達点」

 というのは、世の中のかなり大きいテーマだと思います。

 プロレスラーの代表中の代表であり膨大なファンを抱えていた猪木が、逆に多くのプロレスファンから敵と見なされるようになる。

 こんなことを1970~80年代に予言していたら、信じる人はいなかったでしょう。

 棚橋が猪木化する、というのも想像しがたく、そうは思いたくないことなのですが、

 これはもう必然とも宿命とも言えることなのかもしれません。
  • 2015-09-02 02:59
  • 平 成敏
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  • 編集

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プロフィール

平 成敏

Author:平 成敏
1970年代生まれの男性。
認定ファシリティマネジャー、主に施設管理の仕事に従事。
プロレス、社会、歴史など、興味関心のある分野についてあまり脈絡にこだわらず書いていきます。(⇒プロレス以外の話題については、別ブログ【社会・ニュース・歴史編】をご覧ください。)

著作一覧(アマゾンkindle版)

ペペチール第三王朝の興亡:表紙 世界系統樹:表紙 尊敬なき社会(上):表紙 尊敬なき社会(下):表紙

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