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戦後70年 謝罪と「繋がり」の連鎖なんてない

 太平洋戦争終結後、70年である。

 安倍総理は戦後70年談話を出したが、私はこういうのに興味ないので読んでいない。

 テレビはテレビで新日本のG1の録画を見るのに忙しい。

ROHのマイケル・エルガンの参戦は本当に掘り出し物だったと思う。)

 しかしTNAもDDTもその他の団体諸々も、見なきゃいけないと思いながら録画するばかりで見れていない。

 スカパーを契約していると往々にしてこんな状態になっている人が多いと思うが、たぶん録画だけして一生見ないまま終わってしまう番組が非常に多数に上るはずだ。

(「はず」と言うか、現実にそうなっている。見てない録画DVDが山積みである。)



 さて、毎年この時期になると、必ず「戦争責任」についてメディア上で云々される。

 夏は「夏枯れ」と言ってニュースネタに困る時期だとされてきた(らしい)。

 その夏枯れを潤すのにちょうどいいネタ・季節ネタ、時候の便りみたいなもんじゃないかとさえ思える。

 今年も鳩山元総理が韓国へ行ってひざまづいて謝罪したとか、「侵略」の言葉を総理談話に盛り込むとか盛り込まないとか、色々なネタが散見された。  


 しかし、これもまたまた私が子どもの頃から思ってきたことなのだが――

 謝罪謝罪って、何で何もしてない人間が謝らなくてはならないのだろうか?

 私は旧日本軍の兵隊が残虐行為をしたことを、否定しようとは思わない。

 かつての日本のやったことが「侵略」でないとも思わない。

 だがこの自分が、そして戦争中には生まれてもいなかった人たちがその責任を負うべきだとか、謝罪する必要があるなどともこれっぽっちも思わない。


 「いや、日本人としてかつての日本がやったことには責任があり、罪を感じなくてはならない、謝罪しなくてはいけない」

 と言う人は、まぎれもなく連帯責任を肯定している。

 そして「親の罪を子が引き継ぐ」ことをはっきり肯定し、それが正義だと思っている。


 
 私はこういう思考を「キモい」と思う者である。

 残虐行為をやった日本兵、侵略を行った大日本帝国――それらは全て赤の他人であるかその集合体なのであり、私とは何の関係もない。

 私は彼らと繋がってなどいないし、赤の他人がやったことを自分が背負うべきなどと絶対に夢にも思わない。



 「親の罪は子が背負うべし」「祖先の罪は子孫が償うべし」。

 そういう中世人じみた迷信を今でも正しいと信じる人は、本当に気色の悪い人たちだと思う。

 これを「正しい」とするには相続理論に頼るしかない――つまり、犯罪者の親が遺した賠償責任はその配偶者や子が引き継ぐべし、という理論である。

 しかしこれだって引き継ぐのはカネを支払う責任であり、罪そのものではないはずだ。

 そんなことまで主張するのは近代以前の思考法と言えるだろうが、しかし現代日本人の多くがそういう思考をしているのである。


 もし日本人がこれからもずっと謝罪し続けなければならないとしたら、それを正しいと主張するなら――

 そういう彼らに、モンゴル人のことはどう考えているか訊いてみるべきである。

 トルコ人でも中国人でもどこの誰でもいいのだが、彼らが過去に犯した犯罪行為・残虐行為を、今の彼らは謝らなくていいのだろうか。未来はどうか。

 いやそれは、と言うならば、なぜそうなのか理由を訊こう。


 もしかしたら、世界の中で日本人だけが世代を超えて罪を連帯し謝罪すべきだと言いたいのだろうか。 

 他の民族はどうでもいい、ということか。

 それとも近現代に起こったことが無限謝罪の対象になり、それ以前のことは無罪放免なのだろうか。

 早い話が時効であり、大昔のことはもういいということなのか。

 だったら日本の罪も時間さえ経てばやがては消える、謝罪しなくてもよくなるのか。(しかしやはり、それは違うとなるのだろう。) 


 こうした「謝罪主義者」について確かに言えるのは、彼らがあからさまに民族主義者・自民族特殊論者だということである。

 そしてまた、連帯責任推進主義者で「謝らないのはけしからん」主義者でもある。


 つまり彼らは、「あまりにも日本人的」な人たちだと言えるだろう。



(引用開始)*********************************


 これについて思い出さずにいられないことがある。

 特に欧米では猟奇的事件が起きるたび、やってもないのに「俺がやった」と警察へ言いに来る人が大勢出てくることである。

 自分がやってもいないことで謝罪するのが「正しい」と思うこと、昔の赤の他人の罪を今の我々が背負うべきだとする考えは、これと同じ異常なおかしな精神の産物だと私は思う。

 本当の話、かつての日本の戦争責任を現代の日本人が負うべきだとする人は、その両者の間にどういう関係があるのかはっきり説明すべきである。

 そしてもちろん、「親の罪を子が背負う」のは正しいことだと言うべきである。


(引用終わり)*******『尊敬なき社会(下)』第1章『「繋がり」の紡ぐ奴隷道徳』*******

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平 成敏

Author:平 成敏
1970年代生まれの男性。
認定ファシリティマネジャー、主に施設管理の仕事に従事。
プロレス、社会、歴史など、興味関心のある分野についてあまり脈絡にこだわらず書いていきます。(⇒プロレス以外の話題については、別ブログ【社会・ニュース・歴史編】をご覧ください。)

著作一覧(アマゾンkindle版)

ペペチール第三王朝の興亡:表紙 世界系統樹:表紙 尊敬なき社会(上):表紙 尊敬なき社会(下):表紙

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