7月16日、お笑い芸人・ピース又吉が『火花』で芥川賞を受賞した。
元からの有名人――特に俳優や芸能人がこういう賞を受賞すると、決まって出来レースとか話題作りとか言われる。 俳優の
水嶋ヒロが処女作『KAGEROU』により、第5回ポプラ社小説大賞をもらった時(2010年)もそうだった。
ところで私は、こういうことになるまでピース又吉という人がいること自体知らなかった。
地上波テレビをほとんど見ないからである。
(スカパーを契約していれば、けっこうこういう人はいると思う。)
また、芥川賞受賞作も直木賞受賞作もほとんど全て読んだことがない。
芥川賞は純文学、直木賞は大衆文学を対象にしているとされるが、どちらも興味がないからである。
最近で唯一読んだのは、2011年下半期受賞作の田中慎弥『共喰い』のみ。
その感想はというと、なんだか「芥川賞を取るにはエログロシーンが必要なのかな」というものであり、特にそれ以上思うことはなかった。
そしてやはり、『火花』も読むことはないだろう。
だからピース又吉という人の書くことは、『火花』という小説は、本当に面白いのか感想を書くことはできない。
(ここでいう「面白い」とは、「考えさせられる」などということも含む意味である。以下同じ。)
しかし彼の写真を見る限り、確かに文学的才能があるのだろうとは感じる。
その風貌は何とも「文学者顔」であり、彼がお笑い芸人であるというより作家・文学者だと言われた方がはるかに信じられる。(当の芥川龍之介と似てるんじゃないかとさえ思う。)
芥川龍之介(左)・ピース又吉(右) さて、「ニュースステーション」キャスターの
古舘伊知郎(言わずと知れた、元プロレス実況アナ)は、番組内で「本屋大賞と芥川賞の区別が付かなくなってきた」と皮肉(?)を言って若干の話題になった。
冒頭でも述べたが、又吉の受賞が話題作りのためだと――本を売るための「仕込み」であると捉える人は大勢いる。
それは芥川賞・直木賞の宣伝効果・権威・知名度が、他の文学賞とは比較にならないほど抜群であることに由来する。
もしそれを受賞すれば、昨日まで誰も知らなかったような人がたちまちメディアで報道され有名となる。
受賞作はもちろんのこと、次回作以降は必ず本の帯に「芥川賞受賞作家が描く……」などと書かれ、受賞以前とは比較にならない売れ行きを示す(のだろう)。
元からの有名人が受賞すれば、その効果はさらに増幅するに違いない。
実際『火花』は大増刷されており、販売数も100万部を超えるようである。
また又吉は「先生」扱いされることに「困惑」しているとも伝えられる。
まあ意地悪く言えば、それは「困惑」するであろう。
「これでオレも『先生』と呼ばれる身分になったぜ~♪」と得意になるなど反発を食らうに決まっているから、「困惑」するのに決まっている。
繰り返すが私は『火花』を読んでいないし読むこともないので、それにそれほどの文学的価値があるのかないのか言及できない。
(後述するが、
「文学的価値」を議論すること自体に意味がないと思っている。)
だがそれが「権威」と「商業的価値」を持っていることは、現実から見て決して否定できない事実だろう。
だからそこに、(選考委員たちが何と言おうと)「作り」や「仕込み」があるというのは全く当然のことだと思う。
選出過程に商業的意図が入っていようと、糾弾するようなことでもないと思う。
そもそも全ての賞というのは、広い意味で「景気づけ」のためのものだからである。
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