先にも述べたが、「塾の先生は学校の先生より教えるのが上手い=教える能力が上」とするのが現代日本の通説である。 しかしこれは、全く当たり前のことだろう。 なぜなら塾の先生は学校の先生と違い、余計なことをやる必要がはるかにずっと少ないからだ。 余計なこととはつまり、イジメ対応や部活の顧問や生活指導といったことである。 こんなのは勉強を教える専門家にとって、余計なムダ以外の何物でもない。 そして塾の先...
私は、学校の先生になりたがる人がまだ存在することは、現代日本の七不思議の一つだと思っている。 それは驚異的なこととも言える。 これだけイジメのニュースが連日報道され、その全てのケースで教師と学校がボロクソ非難されるというのに、どうしてそんな地雷原にわざわざ職を得ようとするのか。 なるほど、どんな職に就こうともどこかに地雷は埋まっていよう。クレームを付けられる種はどこにでもあるだろう。 しかし学校...
だいたい学校生活って、集団生活って、その中での人間関係って、そんな大事で大切なことなのか? 小学6年、中学3年、高校3年。 いま大人である人が振り返ってみればわかると思うが、それはまことに短い期間だったろう。 3年間なんて、あっという間に過ぎる。 そしてこれは、私が特に忘れやすい性格だからかもしれないが、その間に起こったことなどほとんど何も憶えちゃいないのである。 果たして大人になったあなたは、...
ところで、いくらヒドい職場でもそこを離れては生活できないから辞めない、というのはわかる。 しかし、学校の場合はそうでもないはずである。 今いる、自分がイジメのターゲットにされている学校を離れたからと言って、別に生活できなくなるわけでもない。(むろん生活費は親が出しているのだから。) なのに、なぜこうも人は学校へ行くことにこだわるのだろう。 なぜ親も、わが子が酷い目に遭っていると知っていながら、な...
上司・上官・先輩とは何だろう。 上司が上司であるのは、ただ便宜上の話である。 上官の命令に服従するのは、やはり便宜のためである。 彼らは決して全人格的に、根源的に「上」の人間であるのではない。 これは誰にもわかりきっているのだが、なぜか人はこれに下克上的な――つまり反道徳的な匂いを嗅ぎ取る。 上司・上官・先輩たちに大概の場合共通するのは、彼らが人より「早く生まれたこと」「早く入ったこと」である。 ...
私の祖父は太平洋戦争中、予科練(海軍飛行予科練習生)に入っていた。 強くするための愛のムチだったとは思わないだろう。 新兵イジメは日本に限らずどこにでもある。 ただ先輩というだけで、後輩を殴っていいとかイジメていいとか思う者がいる。 部下や後輩が口答えするとか異論を唱えるなど、とんでもないと思う者がいる。 彼らにはある程度の罵声を浴びせて問題ないと思う者がいる。 それを肯定する雰囲気が、組織内だ...
「同じ集団・組織」に属する「身内的な仲間」には「繋がり」がある。 人間の本性からして、そこにはヒエラルキーが必ず生じる。 それが「上」から「下」へのイジメを招き、下の者を心理的にも逆らえなくさせる。 しかし、身内だの仲間だの繋がりがあるだの、そういう前提自体にはどんな根拠があるのだろう。 それは突き詰めて言えば、ただ単に「同じ場所にいる」ということでしかないと思われる。 ただしそれをもってしても...
話を元に戻そう。《同じ組織・団体などに属する人間には「繋がり」がある。あるべきである。 人間の本性として、そこには必ず上下関係というヒエラルキーが生じずにいない。 しかもそれは正しい道徳的な、あるいは自然なものであるから、尊重して当然/あって当然なことである。 よって、これを否定したり反抗したりするのは反道徳的な悪である》 こういう雰囲気とそれに基づくヒエラルキーは、封建時代をとっくに終えたは...
私はこの点、プロレスが大いなる矛盾を抱えていることに言及しないわけにはいかない。 プロレス界の公式見解は、「選手同士は本当に勝敗を争っている。真剣勝負である」というものである。 リングに上がれば先輩も後輩もない、とは、実況アナもよく言っている。 しかしそれでいてプロレス界とは上下関係が特に厳しい社会とされ、ファンさえもそれを「あらまほしき姿」だと思っている節がある。 だがこれを、矛盾と言わずして...
思うに、イジメ・パワハラが起きる原因の根底にあるのは「繋がり」である。 それらは身近な人間の間で、同じ組織や団体にいる「仲間」であるからこそ生じる。 「自分だけは例外」の他にもう一つ人間の本性を挙げるとすれば、それは 「人間関係が生じた途端、どっちが上か下かを意識せずにいられない」というものである。 そして特にこの日本においては、上下関係がことさら美しいものとされている。 上下関係は人間社会にあ...