『第2回 巌流島』には思わぬ事態が生じ、放送はなくなってしまった。
しかし報道記事を見る限り、今回もけっこう興味深い結果に終わったようである。
「60歳・古流柔術達人が15秒KO負け」を除けば、その中で
最も印象的なのはやはり、田村潔司の復帰と勝利だろう。
田村が最後に試合し・勝利したのは、2008年12月31日「Dynamite!! ~勇気のチカラ2008~」(さいたまスーパーアリーナ)での桜庭和志戦。(判定勝ち)
それから実に6年半ぶりの実戦登場である。
格闘技情報サイト「イーファイト」から、試合結果と田村のコメントを抜粋する。
(http://efight.jp/result-20150718_186219)(引用開始)****************************
▼第11試合 スーパーファイト 巌流島特別ルール 3分3R
○田村潔司(UWF/日本)
一本 1R1分02秒 ※ヒールホールド
●ジョーイ・コピタイン(ボクシング/オランダ)
「今回対戦相手が急遽変わったんですが、(彼は)コンディションが悪い中、不安を抱えながら戦いの場所に出場したと思います。僕も45歳になり、45年間やっていて楽しいこともありましたが、苦しいことも……」と言うと言葉を詰まらせる。
「苦しいこと、悲しいこと、つらいこと、たくさんありました。今日は、試合を見ていただいてひとつでも何か感じるものを持って帰っていただきたいと思い、この場所に立ちました。またここへ戻ってくるか分かりませんが、何かを感じてもらいたくてここへ立ちました」と涙をこらえながらの挨拶。
(引用終わり)****************************

田村潔司(左)vsジョーイ・コピタイン(右)
(イーファイトより)
田村潔司・勝利後のマイク
(スポーツナビより) 選手名の後に出身国と出身競技(バックボーン)が書かれるのが総合格闘技界の通例だが、田村のそれが「UWF」になっているのがやはり目を引く。
UWFはボクシングや柔道と同列の、一つの競技または流派と扱われている。 もちろんこれは、格闘技ファン・プロレスファンの目を引かせるためであろう。言ってみれば客集め用の表記でもあろう。
しかしそういう効果があると見なされていることは、
いかにUWFというものがいまだファンの心の琴線に引っかかるものであるかを如実に示す。
昔の人が蜂起する時、ほとんど決まって「前王朝の遺児」とか「名家の末裔」を引っ張り出してきたものだった。
我々はそういうことを「時代錯誤」と嘲笑するが――漫画や小説でもたいていそういう扱いをされるため、ますますそう感じるが――、
現代人もまた、「そういうこと」に心を動かされる点で、昔の人とそう変わってはいないと思う。
それにしても――
「UWF」の田村潔司が、「ヒールホールド」で一本勝ち。
これが2015年の試合結果だということに、何か言いしれぬ感慨を覚えてしまう。
本当にUWF時代から見ていたファンにとっては、私などよりよっぽど強くそう感じられることだろう。
三十代末期から四十五歳までの6年半を、田村が試合なしで過ごした真意は私にはわからない。
その期間は総合格闘家としてはとっくにピークを過ぎたはずのものであり、
プロレスラーとしてはピークに達し・そこから降りていく期間のはずである。
(いま三十八歳の棚橋弘至も、その期間に入っている。)
「四十五年間、苦しいこと、悲しいこと、つらいこと、たくさんありました。何かを感じてもらいたくてここに立ちました」。
涙をこらえながらのその言葉に何が込められているのか、我々には本当にはわからないだろう。
推測することしかできないだろう。
しかしその「推測できる」ことこそ、人間の心の核心だろうとも思う。 田村は今後、プロレス活動も拒まずやっていく方針のようだ。
船木誠勝、鈴木みのる、桜庭和志、高山善廣……
UWF(インターも含む)出身の選手はまだまだ残っている。しかしいずれは消えていく。
あと残り少ないであろうその時までに、我々はどんな「U」の残照を見るのだろうか?
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Uインター在籍時に、髙田延彦に「僕と真剣勝負をしてください」と訴えた事件は、田村潔司という選手のまっすぐさを、あらわすエピソードです。
彼が格闘家として復帰し、プロレス活動も始めるというのは、嬉しいことです。
UWF 系選手との対戦はもちろん、新日本の選手との対戦も、見てみたいです。